after-the-death-of-shoriki_152 ← 前へ 次へ → 正力松太郎の死の後にくるもの p.284-285 共同通信社の〝偏向〟のはじまりは、昭和二十四年の都条例反対デモで、一人の青年が死んだ事故を「警官に殺された」と、当時の社会部記者不破哲三(現日共、政治・外交政策委員長)が、〝誤報〟したのにはじまっている。