after-the-death-of-shoriki_163 ← 前へ 次へ → 正力松太郎の死の後にくるもの p.306-307 昭和十八年ごろ、朝日は早稲田、毎日は慶応でなければ、出世も登用もされないと、喧伝されていたほど。ところが、上田時代の役員一覧表をみると、ナント東大が七名、官公立が過半数を占め、慶応はわずかに一名。