わが名は「悪徳記者」 投稿一覧 カテゴリー わが名は「悪徳記者」 電子書籍・EPUB版 ¥396 Cover わが名は「悪徳記者」 三田和夫 初出:文芸春秋昭和33年10月号/再録:筑摩書房・現代教養全集第5巻マス・コミの世界目次 わが名は「悪徳記者」三田和夫 『筑摩書房・現代教養全集5マス・コミの世界』収録(初出:文芸春秋昭和33年10月号)p53下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間― 三田和夫 『筑摩書房・現代教養全集5マス・コミの世界』収録(初出:文芸春秋昭和33年10月号)p54上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 今、感ずることは、「オレも果してあのような記事を書いたのだろうか」という反省である。p54下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 なぜ、私が十五年の記者経歴を縁もゆかりもない一人のグレン隊のために、棒に振ったか? という疑問である。p55上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 私の部隊はシベリアに送られたが、その軍隊と捕虜の生活の中から、人を信ずるという信念が私に生れてきた。p55下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 「キミ、そんなバカな。軍隊友達というだけで、そんなことを引受けるものがいるかネ。ヤクザじゃあるまいし」p56上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 私は公安記者のヴェテランとなり、調査記事の専門家であり、読売のスター記者の一人に数えられるようになっていた。p56下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 私の代表作品の一つに、昭和二十七年十月二十四日から十一月六日までの間、十回にわたって連載された「東京租界」の記事がある。p57上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 上海のマンダリン・クラブの副支配人という仮面をかむっていたリチャード・王という男で、青幇(チンパン)の大親分杜月笙と組んでいたギャンブル・ボスなのであった。p57下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 これが私と王長徳との出会いのはじめであるが、〝過去のない男〟の彼は、とかく〝大物〟ぶりたいという癖のある男だった。p58上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 王から私に電話がきて、「問題の元山に会いたいなら、会えるように斡旋しよう」という。私は即座に「会いたい」と答えた。p58下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 この発表を咀嚼して、批判を加えることもできないのである。これが果して、新聞記者であろうか。役所の発表文がそのまま活字になって、紙面にのるだけである。p59上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 華族でも名門蜂須賀家、侯爵の急死、愛妾――金と女が出てくる、絶好の社会部ネタだし、登場人物もスターばかり、小道具にピストル、そしてギャングだ。p59下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 「こちらに安藤組の犯人が立ち廻ったという情報だから調べてくれ、とのことです」という。何しろ、その時の私は、髪は油気なしのヒゲボウボウ、アンダーシャツ一枚の姿だったから…p60上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 王、小林が誰か犯人を、二日の約束であずかったのだが、そのまま背負い込まされているので、連絡係のフクに喰ってかかっているのだ。p60下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 旅館について、明るい灯の下で、〝山口二郎という人〟を見た私は、どうやら小笠原郁夫らしいナと感じた。いろいろの話をしたのち、私は、その男に自首をすすめた。p61上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 フクから電話で小笠原が会いたいと連絡してきた。いよいよ自首の決心がついたのかと、私はよろこんで会う段取りを決めた。p61下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 不忍池で現われた小笠原を車に拾い、「奈良」にとって返した私は、さらにフクの案内で現われた「花田映一」という人物に会った。p62上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 しかし決して逃げ切ろうというのではなく、せめて社長(安藤)の後から自首したい。時間もそう長いことではない。必ず三田さんの手で自首する。御迷惑は決してかけないと、頭を下げて頼みこむのである。p62下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 私は決断を迫られた。私の無言に、小笠原は誠心誠意、人間の信義をかけて、再び頼みこんできた。私は彼の眼をジッとみつめて、しばらく考えこんだ。ホンの数分である。イヤ数十秒かも知れない。p63上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 すると、花田を通じて安藤に会えるということだった。安藤に会う。彼を自首へと説得するのだ。逃走者の心理は、ほぼ分る。何しろ、私は公安記者のオーソリティだったからだ。p63下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 こうして、五日間にわたり、最後の安藤逮捕まで、連日の朝刊で犯人逮捕を抜き続けたら、これは一体どういうことになるだろう。横井事件は一挙に解決し、しかも読売の圧勝である。p64上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 ――ヨシ、やろう。 私の決心は決まった。たとえ、最悪の場合でも、四人が逮捕されても、小笠原一人が残る。そこで、小笠原を逮捕させて、事件は解決する。p64下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 パタリと私は六法を閉じた。私の行為は、この行為だけを取り出してみるならば、明らかに「犯人隠避」である。つまり、捜査妨害なのである。しかし、私は果して当局の捜査を妨害しようとしているのだろうか。p65上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 今さら、「それは困る」とはいえない。塚原さんを東京駅に送ると、交通公社で切符を買い、三越で下着類を買って、再び「奈良」へもどった。p65下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 ところが、事態は意外な進展をみせて、すっかり変ってきたのである。十五日には逗子の貸別荘で安藤、久住呂(島田)の両名が逮捕され、つづいて十七日には花田までが犯人隠避で逮捕されてしまったのである。p66上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 私の説明に、何故か部長はあまり気のない返事で、「フーン」といったきりだった。そして席を立ちながら『だけどあまり深入りするなよ』と注意を与えたのである。p66下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 「我が事敗れたり」と私は覚った。事、志と反して、ついにここにいたったのだ。私はそれでも当局より先に、事の破れたのを知ることができた幸運に、「天まだ我を見捨てず」とよろこんだ。p67上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 取材の過程で、尾行したり張り込んだりの軽犯罪法違反はもとより、縁の下にもぐり込む住居侵入、書類や裏付け証拠品をカッ払う窃盗などと、記者の行動が〝事件記者〟であれば法にふれる機会は極めて多い。p67下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 二十一日の月曜日早朝、辞表を持って社会部長の自宅を訪れ、経過を説明して、注意があったにもかかわらず、深入りして失敗したことを謝って辞表の受理方を頼んだ。p68上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 務台重役はニコニコ笑われて、「キミ、記者として商売熱心だったんだから仕様がないよ。すっかり事件が片付いたら、また社へ帰ってきたまえ」と、温情あふれる言葉さえ下さった。p68下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 『イヤ、社会面は事件だというオレたちの考え方自体が、もう古いのじゃないか?』 私は反問した。〝社会部は事件〟と思いこんで生きてきた十五年である。それが「古い」ンだって?p69上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 かつて、「東京租界」の時、原部長はただ一言、『名誉毀損の告訴状が、何十本とつきつけられてもビクともしないだけの取材をしろよ』とだけ命じた。p69下 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 「東京租界」では一千万ドルの損害賠償、慰藉料請求が弁護士から要求され、文書では回答期限を指定してきた。辻本次長は、『面白い、その裁判が凄いニュースだし、継続的特ダネになる』とよろこんだ。p70上 わが名は「悪徳記者」―事件記者と犯罪の間―三田和夫 1958 危険を冒したりして会社に迷惑を与えず、企業としての合理的かつ安全な、その上幹部のためにのみなる社員――これを「新聞」という企業が要求するような時代に変っているのではあるまいか。 初出:文芸春秋昭和33年10月号/再録:筑摩書房・現代教養全集第5巻マス・コミの世界