平成元年(1989)11月8日 読売ジャイアンツ日本一祝勝会にて
三田和夫著『新宿慕情』あとがきには、
……務台総務局長のところに伺った。開口一番「ウン、事件のことは聞いたよ。ナニ、新聞記者としての向こう疵だよ。早く全部済ませて、また、社に戻ってこいよ」——温情があふれていた。私の〝常識〟でも、復社できるとは思えないのだが、(中略)爾来、私は〝務台教の信者〟社外第一号を自任している。
とある。
読売退社後、曲折を経て約10年後、池袋の小さな木造アパートの一室で『正論新聞』を創刊する。務台さんのひと言が三田和夫のその後の人生を支えたのだろう。