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赤い広場ー霞ヶ関 p012-013 ソ連船だ捕――ソ連スパイ関三次郎事件

赤い広場ー霞ヶ関 12-13ページ 共同通信・坂田二郎は日本政府の入ソ禁止方針に反しモスクワ入り。/北海道に落ちた赤い流れ星 一 宗谷岬に漂うソ連兵の死体
赤い広場ー霞ヶ関 Soviet spy Seki Sanjiro incident

オグラ氏の場合として紹介した。オグラ氏にとっては、抑留生活中の憂さ晴らしの浮気だっ たに過ぎないだろうに、ラ氏は、彼はその「売淫婦」に恋をしたという。これはラ氏の主観である。しかし、オグラ氏が、一人のロシヤ女と深い関係にあり、それで脅かされたという客観的事実は存在するのである。

それは、オグラ氏なる人物が係官の前で認めたことであり、また、ここに紹介したライフのアメリカ版が日本国内で容易に入手できなかった (一説にはオグラ氏の社で買占めたともいわれる) ことであり、飜訳権をとった文芸春秋社もまたこの一番面白い部分を削除したことであり、オグラ氏なる人物が本社から地方へ転出したことでもある。

だが、それはさておき、二十七年五月一日付毎日新聞には、次のような短かいモスクワ発の記事が掲載されている。

 モスクワ三十日=UP特約 共同通信社の欧州特派員坂田二郎氏は、戦後はじめての日本人記者として、三十日ヘルシンキからモスクワに到着した。坂田氏は高良女史、帆足、宮腰氏らと同じく日本政府の入ソ禁止の方針に反して、ソ連と直接交渉の上モスクワに到着したものである。なお坂田氏のほかにも目下ロンドンにいる二名の日本人記者も、すでにソ連の査証を取ったらしく、近くモスクワに来るものと思われている。

北海道に落ちた赤い流れ星

一 宗谷岬に漂うソ連兵の死体 『御らんなさい。このシラノ・ド・ベルジュラックのような死体を……』

丸山警視はこういいながら、数枚の現場客真を取出した。三十才をすぎたばかりの若さのうちに、国家地方警察本部警備二課付きという、いかめしい肩書にふさわしい銳さを秘めた 外事警察のホープである。

短かかった二十八年の夏のうち、夏らしい日がしばらく続いていた八月の上旬のこと。北海道の北端、稚内市で発覚したソ連スパイ関三次郎事件は、ソ連船のだ捕まであって、その生々しさは国民の耳目をしよう動した。

二十七年暮、鹿地事件についで起った三橋正雄の二重スパイ事件が、首都東京を舞台に、ある意味で華やかな彩りさえみせていたのに対し、北の国境線のサーチライ卜照射や、漁船捕獲などという、緊迫した現地を背景に、息づまるような感じの関スパイ事件だった