日別アーカイブ: 2020年6月14日

黒幕・政商たち p.140-141 御喜家氏は犯人として逮捕

黒幕・政商たち p.140-141 〝総会屋〟のボロ儲け仕事という印象を払拭し、まともな財界人のまともな事業という線を打ち出してきたのである。
黒幕・政商たち p.140-141 〝総会屋〟のボロ儲け仕事という印象を払拭し、まともな財界人のまともな事業という線を打ち出してきたのである。

この時の設立発起人代表の十四氏以外の、「発起人として御協力を頂く旨の御承諾を得ております」名簿は、実員九十九名、帝国石油岸本社長が抜け、森永製菓森永社長、山陽パルプ難波社長の二氏が新加入している。この時期には、ついに会社の設立が叶わなかったのは、前にのべ

た通りである。

芝山氏は、まず第一番に、財界人の一致団結(意思統一と協同動作)と、御喜家氏の引退とを求めて、それ以外に、ランド前進の可能性はないことを警告した。いうなればコンサルタントである。

その結果、会社側は顔見世オールスター・キャストをやめ、ユニット・プロでゆくことになった。〝総会屋〟のボロ儲け仕事という印象を払拭し、まともな財界人のまともな事業という線を打ち出してきたのである。従って、お付合い気分の人には遠慮してもらい、ヤル気のある人で再編成したのだ。

それが文書の一、三十九年八月十七日付の大蔵大臣あての、連名陳情書となった。その署名をみると、前記十四名のうちから、社長市村清氏を筆頭に、長沼弘毅、藤井丙午、松原与三松、本間嘉平、藤井深造、岡崎真一の七氏が残り、新たに、平木信二(リッカーミシン社長)、駒井健一郎(日立製作所社長)、藤川一秋(東都製鋼社長)、安西正夫(昭和電工社長)、五島昇(東急社長)の五氏が加わり、計十二名。

「何卒如上の経緯御賢察の上、本事業のため当該地を確保出来ますよう、格別の御配意を賜り、茲に一同折入って陳情申上げる」次第を、田中蔵相に頼込んだ。百名に及ぶ一流スターのけんらん豪華さはなくとも、自署捺印したこの十二名の連名には、いままでと違って、ヤ

ル気が感じられる、「責任」をアッピールしている。これこそ、さきの市村社長の〝決意〟を裏付けるものであった。

だが、国有地払下げ問題は、当時の政治情勢を反映して、困難となり、それから一年して、ついに株式会社「サイエンス・ランド」は解散となる。

この解散が問題である。その間に、御喜家氏は「怪文書」をバラまいた犯人として逮捕され、略式罰金刑をうける。田川議員の告訴からである。

解散によって、一流各社が分担し、払込んだ株式代金はどうなったか。誰が漁夫の利を得たか。財界人のうちには、個人で自分の社にランドの株式代金を弁済した者もいれば……。世はさまざまである。

「百名に余る財界トップの方々が、一部の妨害にくじけるようなことがあれば、日本財界に取り返しのつかぬ汚点を残すことになります……。いかなる迫害、妨害にもめげず、私は断乎やり通すことを、ここに誓約いたします」

昭和三十九年四月七日、東京会館での、サイエンス・ランド創立総会(結局は流会となった)で、こう語った市村清社長は、今、この挨拶を再録されて、何と感ずるであろう。〝市村学校〟の崩壊とも併せ考えると、口先ばかりの奴というものの、人間的な値打ちが判ろうというものである。

黒幕・政商たち p.142-143 芝山義豊、明治41年生。元子爵

黒幕・政商たち p.142-143 元宮様の会社の手形を、小宮山重四郎候補の実兄、小宮山平和相互銀行頭取の手で割っていた。 つまり、小宮山候補を逮捕すると、社長の元宮様も逮捕せざるを得なくなるのである。
黒幕・政商たち p.142-143  元宮様の会社の手形を、小宮山重四郎候補の実兄、小宮山平和相互銀行頭取の手で割っていた。 つまり、小宮山候補を逮捕すると、社長の元宮様も逮捕せざるを得なくなるのである。

元子爵、二幕目で主演?

さて、御喜家引退にはじまる、ランドの第二幕のドン帳があがった。そこに、〝口先ばかり〟ではない、一人の人物が登場する。

芝山義豊、明治四十一年生。元子爵。

私の、芝山氏に関する記憶は、終戦後の「世耕事件」にまでさかのぼる。あの隠退蔵物資の摘発こそは、旧陸軍の兵器弾薬を、国府軍に引渡すという計画のもとに、芝山氏の構想からスタートしたものであった。

さらにまた最近では、小宮山重四郎代議士(自)が、初出馬した選挙で、鮎川金次郎にも劣らぬ、大買収作戦を展開したことがあった。小宮山派の違反は、埼玉県警の摘発をうけて、連日拡大の一途をたどり、ついには落選した小宮山候補の身辺まで危うくなってきたのだった。

だが、身辺に迫った段階までで、同派の違反事件はピタリと止った。不審に思った私が調べてみると、同派の買収資金は、小宮山候補がかついでいた、元宮様が社長をしている会社の手形を、小宮山候補の実兄、小宮山平和相互銀行頭取の手で、平和相互が割っていたものであった。——つまり、小宮山候補を逮捕すると、どうしても、社長の元宮様も逮捕せざるを得なくなるのである。そこに、県警本部長の〝政治的判断〟が働らいたようであった。

そして、芝山氏はその元宮様と学習院で同期生であり、県警本部にも、氏が現れた形跡があったのである。そのことをただした私に対し、芝山氏は笑って反問した。

「今は一市民となれたのだが、何も知らない方を〝逮捕〟するということは、やはり避けるべきではないだろうか」

この芝山氏の、コンサルタントとしての登場により、ランド問題は急速に動きはじめたのである。芝山氏は、まず第一番に、財界人の一致団結と、御喜家氏の引退とを求めた。いうなれば、一総会屋の手先にはならんのだゾ。そのためには、〝実〟業家である財界人が、団結して、ワシに礼を尽せ、ということであろうか。

この第二期を物語る、六通の文書がある。その第一は、十二名の財界人の自署連名による、田中蔵相への陳情書である。

三十九年八月十七日の日付のある、その第一号文書には、市村清を筆頭に、長沼弘毅、藤井丙午、平木信二、駒井健一郎、本間嘉平、藤川一秋、岡崎真一、安西正夫、松原与三松、五島昇、藤井深造とつづく。

文書の二、三はほぼ同じ内容である。「意見書」と題されるその二通の一つは、三十九年十月十四日付、名儀は、神奈川県市長会会長の肩書で、金子小一郎藤沢市長。その二は、それより一週間あとの二十一日付で、名儀は、神奈川県市議会議長会会長の肩書で、金子吉蔵平塚市

議会議長である。

黒幕・政商たち p.144-145 新聞界のフシギな対抗意識

黒幕・政商たち p.144-145 一口に三社といわれる、朝日、毎日、読売。そこに、三社ではない、四社だと主張するのが、ランドの設立発起人十四氏の一人、サンケイ社長の水野成夫氏である。
黒幕・政商たち p.144-145 一口に三社といわれる、朝日、毎日、読売。そこに、三社ではない、四社だと主張するのが、ランドの設立発起人十四氏の一人、サンケイ社長の水野成夫氏である。

文書の二、三はほぼ同じ内容である。「意見書」と題されるその二通の一つは、三十九年十月十四日付、名儀は、神奈川県市長会会長の肩書で、金子小一郎藤沢市長。その二は、それより一週間あとの二十一日付で、名儀は、神奈川県市議会議長会会長の肩書で、金子吉蔵平塚市

議会議長である。

神奈川県下十四市の、市長会と市議会議長会とが、それぞれにランド賛成を表明しているのである。さきの県議会で採択された、ランド反対、公園促進の意見には、一応尊重の態度を示しながら、「大衆性、公益性を前提条件として、その設立のすみやかならんことに賛意を表明」している。

文書の四、五、六は、公文書だ。吉村関東財務局長から、神奈川県知事あて、三十九年十一月二十日付で、「都市公園予定地の処理について」と題し、「その後相当の日時を経過しており、事務処理の都合もありますので、あらためて貴意を承知いたしたく」と、県の公式回答を求めたもの。

これに対し、知事は財務局長に、四十年一月二十九日付で回答し、「その後さらに慎重に検討を重ねた結果、湘南海岸公園整備の進展、県財政の現状等、諸般の事情を考慮し、県立都市公園の設置は、必ずしも適当ではないので、これを取止めることといたしました」と、公園計画の放棄を明らかにした。

つづいて、同文書の2号として「同…跡地の利用につき次のとおり要望いたします」と、「…都市公園にかわる施設として、公共性が強く、かつ公園の趣旨にも合致し、あわせて青少年の情操教育と科学教育のため、有益な施設が民間資本によって設置されることが、最も適当

と認められます」と、知事の意向を、ランドの社名を出すこともなく、控え目ながら、再度表明している。

水野サンケイの対抗意識

この文書はさらに次頁にわたり、「なお」書がついており、「住宅団地を拡張造成する計画がある模様だが、住宅過密を招き、東海道線の輸送も、極限にきているので、絶対に反対」なことを、申し添えている。

これらの状況をみると、三十九年八月以降、四十年はじめにかけて、ランド問題は大きく変化していることが判る。つまり、第二期、芝山氏の登場以後、事態が全く変化しているのである。ランドはフン詰りから脱却して大きく前進しているのである。

では芝山氏は何故、登場してきたのか、そして何の役割を果しているのであろうか。話はさかのぼるが、新聞界のフシギな対抗意識にもどらねばならない。

一口に三社といわれる、朝日、毎日、読売の三社は、たがいに全国紙としての、新聞本来の仕事ばかりか、あらゆる面での対抗意識を根強くもっている。そこに、三社ではない、四社だと主張するのが、ランドの設立発起人十四氏の一人、サンケイ社長の水野成夫氏である。

三社の対抗意識は、北海道進出にもみられるが、民放でも明らかである。読売の日本テレビ、 毎日の東京放送、朝日の教育テレビ、十二チャンネル、といった具合だ。サンケイは、文化放送、ニッポン放送、フジテレビと大きく頑張っている。

黒幕・政商たち p.146-147 〝戦前派学習院〟閥という集団

黒幕・政商たち p.146-147 この徳川宗敬氏の友人が芝山氏。牧野伸顕伯に見込まれ、吉田茂氏に推挙されて、世耕事件として有名な隠退蔵物資摘発の筋書を組んだ、ディレクターである。
黒幕・政商たち p.146-147 この徳川宗敬氏の友人が芝山氏。牧野伸顕伯に見込まれ、吉田茂氏に推挙されて、世耕事件として有名な隠退蔵物資摘発の筋書を組んだ、ディレクターである。

三社の対抗意識は、北海道進出にもみられるが、民放でも明らかである。読売の日本テレビ、

毎日の東京放送、朝日の教育テレビ、十二チャンネル、といった具合だ。サンケイは、文化放送、ニッポン放送、フジテレビと大きく頑張っている。

一方、読売が読売ランド計画を進めると、毎日はすぐドリームランドと手を握り、朝日は、国立こどもの国を支持するといった調子である。この三社のランドがいずれも神奈川県にあるのも面白いが、立ち遅れたサンケイは、独自にサンケイランドを計画し、吉浜海岸の造成地を考えた。

この造成地三万坪は、池袋の白雲閣の土地で、サンケイは「買う買う」と、白雲閣を引ッ張って造成工事を相手に進めさせながら、計算してみると、民有地だから高すぎて金繰りに無理がくると判断した。その結果、白雲閣を引ッ張り放しでポイと棄て、御喜家氏のサイエンス・ランド計画に乗り換え、水野氏が積極的に乗り出したのである。つまり、毎日がドリームランドと組んだように、サンケイはサイエンス・ランドと組もうとしたわけである。従って、発起人九十九氏の中には、マスコミからは、地元紙神奈川新聞社長が加わっているほかでは、サンケイだけといういきさつがある。

さらにまた、旧聞に属するが「文化放送事件」というのがある。そもそも文化放送を設立したのは、イタリー人神父マルセリーノ氏が、伝道用にというのであったが、何かとモメゴトが多く、元公爵徳川宗敬氏が社長になるハズのところ、何時の間にか逆転劇が仕組まれていて、水

野氏が乗っ取った形で社長となり、徳川氏は放逐されてしまった。

この徳川氏の友人が芝山氏である。牧野伸顕伯に見込まれ、吉田茂氏に推挙されて、第一次吉田内閣時代に、経済安定本部に勤務して、世耕事件として有名な隠退蔵物資摘発の筋書を組んだ、ディレクターである。そもそも氏の目的は日本軍の兵器を国府軍に渡し、増強して中国大陸の安定を期するにあり、それ故にこそ吉田茂氏も氏を起用したのであったが、兵器譲渡は米軍とのカネ合いで挫折し、物資摘発が主な仕事になってしまったという。

芝山氏は徳川氏のために、大いに憤慨して水野攻撃のチャンスを待っていたといわれる。そこに白雲閣事件である。サンケイ・ランドの用地造成のため、無理な金融をつづけていた白雲閣の苦境を知り、氏は義憤を感じてサイエンス・ランドに現れた。サイエンス・ランドを利用し、それを乗ッ取るという、水野氏一流の手口について、警告するためにだった。

〝戦前派学習院〟閥という、集団に非ざる集団があるとしよう。そんな〝閥〟があるかも知れないし、ないかも知れない。しかし、あるとすれば芝山氏は、それをバックに持つ隠れた実力者であろう。

その〝実力〟を知ったランド側は、フン詰り脱却のためのコンサルタントとして、氏の指導を仰ぐことになったのである。こうして、発起人の再編成が行なわれた。九十九名の配役表は、姿を消し、ホンモノの発起人十二氏が固まった。この時、サンケイ水野氏も退陣し、五千株の

一株主となって、ランドは芝山氏に敬意を表した。