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正力松太郎の死の後にくるもの p.034-035 〝蒙〟を啓いておかねば

正力松太郎の死の後にくるもの p.034-035 正力が読売を今日までに育てつつあった、その愛着が〝オレのモノ〟としての「社主」という呼称に表現されたのであって、正力以後に「社主」はあり得ないのだ。
正力松太郎の死の後にくるもの p.034-035 正力が読売を今日までに育てつつあった、その愛着が〝オレのモノ〟としての「社主」という呼称に表現されたのであって、正力以後に「社主」はあり得ないのだ。

新聞記者と雑誌記者の、素養と訓練の差はこの質問一つでも明らかである。遺言状の有無については、私もウームと唸らざるを得なかったが、まだ、正力タワーを軌道に乗せていない正力は、おのれの天寿を、さらに確信していたに違いない。後述するが、昨四十三年秋から四十四年

にかけて現象化してきた、亨、武の両遺子、ならびに 女婿たちの配置転換をもって、私は〝遺言〟とみるのだ。

この機会に〝蒙〟を啓いておかねばならない。〝愛人〟とは誰を指すのか、武の生母。中村すず女であろう。正力の戸籍をみると夫人はま女は、大正七年五月一日に結婚昭和三十八年元旦に、死去している。すず女が臨終をみとって何が不自然であろうか。また、「社主」に誰がなるか、社長は、というものも、商法上の「代表取締役」と混同していて、正力なればこそ、「社主」と称し得るのである。しかも、この「社主」なる呼称は、英語の「オーナー」とはまたニュアンスが違う。朝日の村山、上野家とはまた、その事情を異にする。私が昭和十八年の読売入社時に提出した誓約書の宛名が、すでに「読売新聞社主正力松太郎」であることに最近気付いたのだが、正力が読売を今日までに育てつつあった、その愛着が〝オレのモノ〟としての「社主」という呼称に表現されたのであって、正力以後に「社主」はあり得ないのだ。

内ゲバにいたっては、務台、小林両代表取締役副社長の、人柄はもちろん、読売を取りまく、客観情勢さえ判断できぬ、その無知を嘲うべきであろう。

務台七十三歳、小林五十六歳。その新聞経歴は務台が十倍にもなろうという差がある。そしていま、大手町の新社屋建設二百億の金繰りを控えての、読売の正念場である。務台を措いて、余人をもってはかえられない、大事業に直面しているのである。

このとき、官僚としての最高位、自治省事務次官まで進んだほどの小林が、内ゲバをあえてしてまで、務台と事を構えねばならぬ、何の必然があるだろうか。いうなれば、福田赳夫と田中角栄との年齢の開きにも似て、小林としては、ポスト・ショーリキではなくて、ポスト・ムタイの構想を練るべき秋なのである。