ある社会部次長がいった。
「驚いたよ。今の若い記者には……。コロシがあったサツで、サツ廻りの奴が電話してくるンダ。『アノォ、私は日勤なもンですから、もう帰るンですけど、あとは誰に引きついだらよいの
でしょうか』だとサ。まだ、六時すぎごろのことだぜ。三鷹や下山のころには、一カ月以上もウチに帰れなかったのにナ」
また、もう一人、古手の記者がいう。
「今年の〝全舷上陸〟は中止だよ。何しろ、若い連中から、ふだんの勤務が乱れていて、十分に〝家庭サービス〟ができないのだから、せめて、新聞休刊日ぐらいは、旅行なんぞやめて、ゆっくりと家族と一緒にさせてほしい、という声が強いのでネ。……時代の流れなんだろうナ。ヤング・パワーというヤツか……」
退社してもう十一年。最近の社員名簿をみてみると、百五名におよぶ社会部員のうち、私の知っている記者は、二割程度しかいないのである。文字通りに、〝時移り、星変って〟しまっているのだった。
紙面にクビをかける
もう少し、昔話をつづけさせて頂く。
売春汚職事件にからむ大誤報事件の立松和博記者についての、微笑ましいエピソードは多い。そして、それは多くが、酒についてであった。
彼が警視庁記者クラブ詰めになって、捜査二課を担当していた当時である。もちろん、タタキ、コロシのデカたちと、付き合えはしなかった。警備、公安がダメ。保安防犯は、麻薬や売春、風紀などがあるので興味を示してはいたが、やはり、二課事件(知能犯罪担当。当時は暴力団関係もふくまれていたが、中心は、何といっても、汚職や会社犯罪であった)に集中していた。
彼は、担当係官の顔など、ほとんど知らなかったであろう。現に、読売のスクープに、警視庁の担当係官が口惜しがったことがある。
「読売は取材にも来ないで、どうして、あの事件をヌイたのだろう?」
係官の疑問も当然である。警視庁の捜査を指揮している、検察庁へ行って取材してくるから、係の顔など知らない男が、ボンボン抜きダネを書くのであった。
深夜の三時、四時。朝刊原稿の締め切りごろに、立松記者は酔って、警視庁クラブに現れる。泊り番の記者たちは各社一名宛であるが、原稿を送稿し終って、サテ、仮眠でもという時の、酔ッ払いのチン入である。
彼は、各社の記者に抱きつき、「オレ、オ前が好きなンだア」と、ホオをペロペロなめる。素面の泊り番は、カオをしかめて逃げまどう。やがて、放声高吟のあげく、彼はズボンのチャック
を下げて、クラブ中に〝放水〟を開始する。