私は、さきに、新聞は昭和三十年代から変りはじめたと述べた。この時期を、社会構造的にみると、戦前、戦中、そして、戦後の昭和二十年代と、長い期間を通じて、この日本という国を支えてきた、中産階級の消滅が進行しはじめた時期である。
昭和二十六年の血のメーデー、五・三〇皇居前事件、新宿火焰ビン広場と、一連の騒乱事件と、さきごろの一〇・二一新宿事件とを目撃、比較してみると痛感されるのだった。二十年代の事件のころは、学生と労働者、朝鮮人、事務員と、すべてにみわけがついたのである。ところが、さきごろの新宿事件では、学生も工員も、グレン隊も会社員も、人品骨柄、服装とも、全く判別できなくなっていた。つまり、極言するならば、大学生たちの面上から、学生らしい知的な表情がなくなっているということなのである。
従来の概念からすると、最高学府に学ぶ学生が大学生であったのだが、中産階級の消滅以後は〝大きい学生〟にすぎなくなったのである。中産階級が消滅したのか、下層階級が向上したのか、いずれにせよ、早慶戦の夜のストームの連中の表情には、学問する者のもつ知的なかげりは、全く見られないのだ。学生も、バーテンも、ヤクザも、質的には同一レベルに並んでしまったのである。
この時、長い間、それこそ一世紀近くもの間、この中産階級に支持され、愛読されて、〝大朝日〟意識の自覚のもとに、インテリの新聞として、伸びてきた朝日新聞は、どう変貌したのであ
ろうか。
女子大学生も、ラーメン屋の出前の娘も、キャバレー・ガールも質的には、男性と同じように、同一水準であり、新聞にすら興味がもてないのである。わずかに、下層階級から収入も増し、教育も上ったという、自意識層だけが、〝憧れのインテリ新聞〟朝日の読者となったのである。
それは何故か。カッコイイからである。朝日を購読し、朝日ジャーナルを抱えることに、父祖伝来の夢がかけられていた、といっては言葉はすぎるかもしれない。貴族のない国の占領米軍が、日本の華族に憧れたのと同じである。
早くも、そこを見抜いた、朝日の販売、編集当事者たちのケイ眼には、感嘆せざるを得ない。カッコイイ紙面を作り、カッコイイ売り方をして、野卑で猥雑で、知性のない新興中産階級に迎合したのである。媚びたのであった。
グレイの上下揃いのトレパン・スタイル。赤い背文字の配達員、拡張員も、カッコイイには違いないが、中身は決して朝日型ではないから、他紙の読者の横取りのためのトラブルを起し、販売店は痴漢のチラシ広告でも折込む(週刊新潮43・7・27号、朝日目白専売所の事件)のである。
このような朝日読者層の〝新興〟中産階級は、宅配なればこそ、月極め読者としてつなぎ止められる読者層である。
読売の金城湯池である江東方面は、いわば細民街であり、朝日のそれに相当するのが、杉並、
世田谷、目黒の知識人街であろうか。だが、果してどちらの住民が、収入面での稼ぎ頭であろうか。私は江東の細民街の住民の方が、所得(収入)が多いと判断する。いうなれば、美味いものを食っているといえよう。