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正力松太郎の死の後にくるもの p.288-289 コマーシャリズム第一主義を容認

正力松太郎の死の後にくるもの p.288-289 「売れていることは確かです」この問答の部分では、私は「読者にコビた編集方針をとっているのではないか」と、〝コビ〟るという言葉を使って質問したのだが、渡辺は気がついたのか、つかなかったのか
正力松太郎の死の後にくるもの p.288-289 「売れていることは確かです」この問答の部分では、私は「読者にコビた編集方針をとっているのではないか」と、〝コビ〟るという言葉を使って質問したのだが、渡辺は気がついたのか、つかなかったのか

〝創刊の趣旨はあんなものではなかった〟という趣旨の発言は、渡辺も現在のジャーナルの編集のあり方に、肯定的ではないということである。「もともとは、たとえ儲からなくても、ヒドイ赤字にさえならなければ、新聞社の出す週刊誌らしい、程度の高い理論誌をというネライだっ

たのだが、当事者にしてみれば、返本率だの、採算点だのが示されている以上、〝売れる雑誌〟にしたいと意気込むのは当然でしょう」

小和田は「コマーシャリズム上からも商売にプラスしてきた朝日ジャーナル」と、コマーシャリズムを〝からも〟と二次的な評価をしているのだが、事実は〝売れること〟が、社内的な実情から第一義とされていることが明らかである。

振り子はもどる朝日ジャーナル

「……そのため、読者層をハッキリ学生という若い年齢層に限定してしまって、現在のジャーナルの形ができあがってしまった。そのため、売れていることは確かです」

この問答の部分では、私は「読者にコビた編集方針をとっているのではないか」と、〝コビ〟るという言葉を使って質問したのだが、渡辺は気がついたのか、つかなかったのか、その言葉にはあえてこだわらず、肯定的であった。

「……しかし、四十三年の後半あたりから、ジャーナルの編集のあり方について、社内からの批

判もあって、だんだん変ってきているハズです」

小和田の見通しは我田引水であった。「いままでは、〝進歩的朝日のショーウインドー〟として黙認され」ていたわけではない。赤字でなければよいというのに、読者にコビて売りまくっていたのであって、〝ショーウインドー〟でもなければ〝黙認〟されていたわけでもない。しかも、編集方針は〝六九年中には方向転換〟どころか、昨年中に〝偏向是正〟へと動きだしていたのである。

「週刊朝日もツライ立場ですな。扇谷時代とまでいわれた、百万部もの独走ぶりからくらべると、雑誌社系の週刊誌などのハサミ打ちにあって、昔日のおもかげはないですよ。だから、何とか窮境を打開しようという当事者のあせりが、御指摘のようなことになるのでしょうな」

私は、週刊朝日が松本清張をハノイに〝本誌特派〟という肩書きを銘打って送りこみながら、その原稿を他紙誌と同時掲載するという醜態を演じたことを、芸能誌や女性誌の〝独占スクープ〟という名の共通ダネになぞらえて笑ったのである。つまり〝本誌特派〟という肩書きの〝売り方〟を問題にしたのであるが、渡辺は、「新聞と違って、出版局の雑誌には、過去のデータからくる〝返本率〟という目安がつきまとう。だからどうしても、担当者は〝売る〟〝部数を伸ばす〟ことが、第一になってしまう」と、その、コマーシャリズム第一主義を容認せざるを得ない、といった口吻であった。