日別アーカイブ: 2021年6月2日

正力松太郎の死の後にくるもの p.294-295 右翼や商売人と同じ手合い

正力松太郎の死の後にくるもの p.294-295 小和田のいうような、「相対的主体性が、体制的本質の陰に喪失してゆく方向は、必至であろう」という、愚にもつかない、きまりきった判断を、類型的な漢字の羅列文で、もっともらしく表現するなど、笑止にたえない。
正力松太郎の死の後にくるもの p.294-295 小和田のいうような、「相対的主体性が、体制的本質の陰に喪失してゆく方向は、必至であろう」という、愚にもつかない、きまりきった判断を、類型的な漢字の羅列文で、もっともらしく表現するなど、笑止にたえない。

「朝日としては、あの意見広告を断わったりしたことから、いよいよ〝左翼偏向〟の証左の一つにされたりしてますが、そうではなくて、意見広告掲載の基準について、もう少し時間をかけ

て、統一見解をもとうとしていることなのです」

意見広告が出せるとなれば、金のある奴は誰でも申しこんでくる。売名、政治と思想、宗教、何でも彼でも断われなくなってくる。金のある政党といえば、まず、公明党と共産党が全頁の意見広告を申しこんできたらどうしよう。それより、東大OBの会のよびかけに対抗して、全学連がきたら、これまた断わりきれまい——といったような、社内での意見が対立したらしい。文春誌は〝朝日の良識〟と皮肉ったが、事務ベースの問題であったというものである。

このようなことでさえ、〝左翼偏向〟の証左としてもち出されるということは、渡辺のいうように、〝意識的につくられ、意識的に流されている〟ことを、裏付けるものであろう。第一、最近、問題となりはじめている、朝日、読売、毎日三社の共同通信復帰でさえも、「これは、朝日と共同のアカが、合法的に手を握り合うための陰謀で、共同通信の〝偏向記事〟が、朝日の巨大な発行部数の紙面に、共同のクレジット付きで印刷される危険が増大している。共同の偏向記事は、今でこそ、一部地方紙にしか印刷されないのだが、これは大問題である」と、憂えている老新聞人もいる。

この稿の冒頭でのべた、村山社主夫人をして、「朝日のアカを退治してやる」とゴマ化して、〝黒い霧〟スターたちの不動産屋に引きずりこんだ〝他称・右翼の巨頭〟などをはじめとして、「朝日はアカい。だから七〇年安保は大変だ」と、危機感をあおって、自分の〝商売〟にしたり

する連中と、そのシリ馬にのった〝憂える〟部類の、ハヤリならカゼでも引きたいという愚民どもが「朝日はアカいという神話」を信奉しているのだ。

ましてや、小和田のいうような、「TBS、共同の〝転向〟が進展するなかで、朝日の孤立化は深められ、その相対的主体性が、商業マスコミ本来の、体制的本質の陰に喪失してゆく方向は、必至であろう」という、愚にもつかない、きまりきった判断を、類型的な漢字の羅列文で、もっともらしく表現するなど、笑止にたえない。

〝主体性が体制的本質の陰に喪失する〟などと、判りにくいことをいわなくても、新聞や放送が巨大化するということは資本主義体制が進むことであり、資本が安全であるためには、反体制を打ち出せないという、中学生にも納得できる論理であり、それが必至であろうなどと、もったいぶった御託宣など無意味である。これもまた、右翼や商売人と同じ手合いである。

私は問うた。「宅配制度は崩壊すると思うのだが、御意見は?」と。

渡辺は、さり気なくこの質問をかわして、宅配制度の見通しについての、ハッキリした意見はのべなかった。そして、いかに宅配制度を守るために、必死の努力をしているかという答をもって、これにあてた。つまるところ、大阪編集局長秦正流が「崩壊は時の流れでもあろう」と、直截に語ったのにくらべるならば、渡辺の発言はより重大な影響があるので、言葉を濁したのであろう。