そのことを、たまたま知って、彼のもとを訪れた私は、彼に何を訴えたいか、何を期待したいのか、とたずねた。彼は、共産党でないということを明らかにしたい、(それは、それを明らかにすることによって、取消された就職口や、家庭教師の口を回復し得ると期待したのであろう)もちろん、そ
のために公判を分離しようと思った、というのであった。
このような本音は、ことにインテリといわれる種類の人たちにとっては、それこそ本当に追いつめられてこなければ、吐けない言葉である。ここまで、本当のことをいわせるのが、記者の取材力である。インテリほどインチキなお体裁ぶり屋はいないのである。
私は兵隊の時に負傷したことがある。その傷口と出血をみて、私は脳貧血を起こしかけた。頭がジーンとなって、気が遠くなってゆくのを感じた時、「アア、俺は将校なんだ。こんなことで卒倒したら、笑いものになる!」という、お体裁の意識がヒラめいて、辛くも気を取り直したことがあった。
もっとも、これは、もし倒れれば、明日から将校として兵隊を使うことができなくなる、という、実利的な問題もあったのだが。
ロッキードとグラマンが、決算委で問題になっている当時、ある防衛庁高官が、赤坂のアンマさんに暴行を働いた、という事件が明るみへ出ようとした。この事件は、いろいろと止め男が出てきて、とうとうモミつぶされてしまったが、私が調べてみた限りでは事実である。
しかし、暴行の内容であるが、いわゆる強姦したのかどうかまでは、明らかではない。襲われた本人や、同僚の話によってみると、この防衛庁高官が、二十一歳のアンマさん(もちろん、正眼の娘さん)に、いわゆる襲いかかってきたことだけは確かである。
議員だからインテリではない、といったような逆説はやめて、国防大臣ともいうべき人だから
いわゆる知識人の範ちゅうに入る人物である。このような人でさえ、本音を吐けば、寝床に傍近く待らして、身体のマッサージをする娘さんに、何かを強要したくなるのである。私には、この老人の心理がよく判るから、ここで非難しようとするのではない。
つまり、東大の大学院学生であるK氏も、本音をはけば、食うのに困ってきて不安を感ずる一人の亭主にすぎないのである。しかも、インテリだから、歯を食いしばって、それに耐えて行こうとする、根性もないのである。
新聞記者の適性
新聞記者の適性の第一は、インテリでないことである。インテリであると、落伍すること請け合いである。インテリの記者には、表現力はあっても、取材力がない。ネタを取れるということと、記事が書けるということとは、車の両輪のようなものである。ことに、事件記者には、インテリはダメである。インテリの記者は、企画記事か発表記事、つまり取材競争のない記事しか書けないのだ。
一例をあげると、事件記者の取材の一番大きな対象は、お巡りさんである。お巡りさんはインテリではなく、ミーちゃんハーちゃんと同じ庶民、大衆の一部で、ただ国家権力を行使し得る、職業的専門家である。
ミーハーの心を知らなくては、ミーハーから取材はできない。お巡りさんの気持と、通じあい
交りあうものがなければ、彼らが公務員法でしばられている職務上の秘密を洩らすであろうか。発表を聞いて文字にすることは取材とはいわない。