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最後の事件記者 p.336-337 吊しあげるはずの徳球一人に引ずり廻され

最後の事件記者 p.336-337 日本共産党書記長徳田球一がソ連側に「日本人の引揚をおくらせてほしい」と要請したという問題。徳田書記長はベランメエ口調で〝モスクワへ行ってきいて来い〟という名ゼリフをはいたのである。
最後の事件記者 p.336-337 日本共産党書記長徳田球一がソ連側に「日本人の引揚をおくらせてほしい」と要請したという問題。徳田書記長はベランメエ口調で〝モスクワへ行ってきいて来い〟という名ゼリフをはいたのである。

だから、私の功名心を、このような立身出世主義に置きかえてみるのは、誤りだ。今度の横井事件の〝五人の犯人生け捕り〝計画も、「彼は社会の多数がこうむる迷惑よりも、自分の抜け駈けの功名や、社会部長の椅子の方が大事であったに違いない」とみるのは、全くの誤りである。

第一、現在の新聞社の機構では、社会部長も次長も、記者ではなくて事務屋である。ことに次長というのは、行政官、悪くいえば請負仕事の職人である。アメリカの記者のように、例えばNBC放送のブラウン記者が、五十歳ほどの立派な紳士でありながら、デンスケを担ぐのとは違うのだ。

私のように根ッからの記者は、取材、自分で走り廻ることをやめて、伝票にハンコを押すことなどに、執着や興味はさらにない。万年取材記者でありたいと願っていた。第一、部長、次長という役職者は、自分で原稿を書くチャンスが与えられていない。空前ではないかも知れないが、絶後であるのは、読売の高木健夫編集局次長のような立場だ。

高木局次長は、今でも新聞記者である。自分自身で原稿を書いているからだ。編集局の一隅に自分のデスクがあって、電話の取次ぎをする給仕一人いない。不思議に、このような大記者制度というものが、日本の新聞にはないのである。古くなれば、誰でもが、オートメで役職につけてその才能を殺してしまうのが、日本の新聞である。

私が、どんなに功名心にかられていても、書かなかった記事、つまり事件は、いくつもある。つまり、相手がどうあろうと、何でも彼でも書きまくって、自分だけが出世をしようなどとは、いささかも考えはしなかった。

徳球要請事件

二十五年三月、参院引揚委員会では、いわゆる徳田要請問題の審議を行った。日本共産党書記長徳田球一が、ソ連側に、「日本人の引揚をおくらせてほしい」と要請したという問題が、引揚者によって伝えられたのである。

同委員会では、これを引揚阻害として重視した。そして、ついに徳田書記長を証人として喚問し、吊しあげるという一幕が演ぜられたのだが、徳田書記長はベランメエ口調で荒れまわって、〝モスクワへ行ってきいて来い〟という、名ゼリフをはいたのである。

委員会の審議は、吊しあげるはずの徳球一人に引ずり廻されて、何の真相もわからず、何の結論も出ないまま、その日は散会となってしまった。

その数日後のことである。私は日共関係のニュース・ソースである一人の男から、実に意外なことを聞いたのであった。

それは、日共内部が、「徳田要請」は事実であるという一派と、そんなことはデマだという一派とに分れて、モメているというのである。しかも、事実だと主張するのが、〝ナホトカ天皇〟とまで呼ばれて、在ソ抑留同胞がその一挙手一投足で左右されたと伝えられる、上陸党員の大幹部津村謙二だという。

これこそビッグ・ニュースであった。ことに、徳田書記長にやられてしまって、国会の権威が

どうのこうのと、騒いでいる時であったから、その書記長の下にある党員が、事実だと主張しているとあれば、もちろんトップ記事である。