大蔵省の厳しい催促状が、県へ出されたのが一月七日、ランドの第二次リーフレットに知事
の名前ののったのが二月十四日、そしてこの返事が、創立総会後の三月十六日というこの日程も見逃せない事実である。
では、内山知事を取巻く客観的事実をみてみよう。前々回の知事選には、氏は五選出馬で反響を呼んだ。五選出馬といえば県立公園計画による、六万坪無償貸付を申請した時も、もちろん知事だ。そして、五選出馬は自民党の分裂をもひき起したのだった。
当時の自民党主流が推す内山候補に対し、実力者河野一郎氏(神奈川三区選出)が、五選反対を旗印に、朝日政治部記者から鳩山首相秘書官となり、当時ラジオ関東常務だった若宮小太郎氏を、内山知事の対立候補として出馬させた。当時の自民党県連会長は、藤山愛一郎氏(一区選出)であり、河野氏の地元である平塚市は、反対派である戸川貞雄市長ときては、県政、市政県連と、すべてを反対派に占められて、中央でこそ実力者であっても、地元では実力を発揮できない状態だったので、河野氏としてはどうしても内山知事を阻止したかったのであろう。
いうなれば、反党行動の最たる横車を押しての、若宮候補担ぎ出しであったから、党実力者同士のこの正面切っての対立抗争は、県議会にまで及んで、県自民党は、河野派二十二、反河野派十七、中間派三という形に分裂してしまった。従って、両候補とも党公認がとれず、保守系無所属としての一騎討ちとなったが、内山候補が現職の強味を発揮して、五選をかち得たと
いう過去の事実がある。
田川議員は二区選出、神奈川新聞記者から河野派として横須賀市を地元に、河野氏の実妹の甥という関係で、なかなかの実力派。
しかも、国有地の払下げ問題に関しては、研究と調査とに実績を持っている。先年も、油壺付近の景勝地が、映画俳優や有名人の別荘地として、タダ同様に貸付けられている事実を取上げたり、川崎市の東部六十二部隊跡が、警察関係に安く払い下げられたり、転売されたりしている点に、警告を発したりしている、国有地払下げ問題のオーソリティである。だが、その実績も、地元である追浜飛行場跡を自ら音頭をとって民間の営利企業に払下げさせた経験から、そうなったのだという批判もある。
怪文書と人身攻撃
先に〝総会屋〟の前身を持ち、現在、経済雑誌社長として紹介した、御喜家氏のもう一つの肩書も重要である。「国民の政治的理解が浅く、政治的民度が低いから、それを高めるため、政財界と国民を媒介する『国民政治経済研究会』を、三十五年六月、安保騒動の渦中に創設」(前出アサヒ芸能誌)して、その専務理事ということである。政治評論家の藤原弘達、戸川猪佐武氏らも、評議員としてその研究会に名を並ねている。