だが、この時期から、鈴木は鈴木で秘かにある計画を練っていたらしい。つまり、高橋を紹介し、取締官に中国人船員の面割り(メンワリ。顔を覚えさせる)と称して、彼らを船に連れこみ、税関のフリー・パスを狙
ったものだ。
潜入した阿知波取締官の手腕は、仲々のものであった。その的確な情報で、事務所は、次々と2ラン・ホーマー、満塁ホーマーと打ちつづけた。年があけて、一月にバイ人を二人、二月には、王漢勝と同列の郭建新(欧金奢、李忠信の上部機関、連隊長クラス)の内妻、浜本順子らを逮捕した。
五島会の内部組織の解明が進み、〝麻薬営業部長〟が浮んできたので、ここで九州地区から呼ばれた、鋤本取締官が、密輸時計ブローカーから麻薬ブローカーに転業した男、として、やはり極道の群れに投ずる。
李忠信を追う、麻薬取締官の輪が、だんだんにせばめられ、二月下旬には、厚生省に防弾チョッキを手配してもらい、近畿事務所の二十名に、応援六名を得て、麻薬二ポンドと中国人暴力団数名に護衛された李を追うという、スリリングな場面まできた。
だが、近藤上申書はいう。「引続き、李の立回り先数カ所を、昼夜交代で張込みした。しかし、取締官だけでは人員不足の点、また国外逃走のおそれから、当時の担当検事も心配し、全国指名手配(警察)してはとの助言もあったが、王漢勝事件捜査のいきさつもあり(事件端緒から押収麻薬のすべてを取締官が押えたが=注、取締官の功績=、警察との合同捜査により、王漢勝を全国指名手配せよとの検事指示により、逮捕後は本件すべてを警察に移された苦い経験が
ある=注、手柄をすべて警察にとられた=)厚生省としては、この事件はあくまで取締官の総力を結集して検挙せよ、との指示にもとづき、ついに五月二日、李忠信を逮捕することに成功した」
三月には、五島会の幹部二名、四月にはまた二名と、さらに五月には、念願の李忠信と、潜入取締官たちは、近藤所長指揮のもとに、着々と成果をあげていったが、その間、栄光のカゲに墓穴が掘られていたのだった。
つまり、鈴木に対する信頼度が高まって、鈴木は「権力」に狎れたのである。また、Aは麻薬指名手配の逃走犯、Bは九州の密売ブローカーとして、彼らと行動を共にするのだから、キャバレーで飲み共に娼婦を抱き、するのである。服も紺の背広ではデカ・スタイルだから、派手なサイド・べンツを鈴木に借り、髪は極道刈りということになる。旅客機で東奔西走し、時計はインターということになれば、国家公務員の捜査費用で、彼らと対等に、ワリカン(もしくは、オゴられれば、次回オゴリ返す)で、付き合えるであろうか。
これらが、すべて「贈収賄」事件として立件されたのであるが、果してどんなものであろうか。
鈴木、高橋は、四月、五月、六月と、「密輸船が入ったから」として、神戸港、名古屋港、横浜港を、近藤所長らを引き回した。そして、取締官を船のタラップに待たせ、彼らが船内に
入って、麻薬の密輸を行い、また、取締官事務所の公用車に同車して、税関を通り抜けたのであった。(と、極道たちの警察調書には記録されている)