黒幕・政商たち p.178-179 時価百億円の阿片塊

黒幕・政商たち p.178-179 満州帝国の武部総務長官は、皇帝溥儀と帝国再建の方途とを考え、満州国が保有していた莫大な量の阿片をその資金とすること考えついた。
黒幕・政商たち p.178-179 満州帝国の武部総務長官は、皇帝溥儀と帝国再建の方途とを考え、満州国が保有していた莫大な量の阿片をその資金とすること考えついた。

セックス、酒、と博、麻薬などによって人間の弱点に喰いこむ「外国人獲得法」が、ソ連秘

密機関では「科学の段階」にまで高められているという。まず、身近かな実例で「麻薬」に対しては、常に国家の意思がつきまとうということを、実証しなければならない。

日本の敗色が濃くなってきた昭和二十年の初夏のころ、満州帝国の武部総務長官は、ソ連の参戦を必至とみて、皇帝溥儀の身のふり方と、帝国再建の方途とを凝らしていた。そして、考えついたのは、満州国が保有していた莫大な量の阿片を、ひそかに日本に運んで、その資金とすることである。当時の日本円に換算して、百億円ともいわれるほどの量であった。目方についての、正確な資料が残っていないので、時価百億円の阿片塊としかいえない。

武部長官は、関東軍に交渉して、その輸送に護衛を一個中隊つけることを頼んだが北方の風雲は急を告げており、一個小隊の日本軍が配属されたにすぎなかった。こうして、暮夜ひそかに首都新京(現在長春)を出発した輸送隊は、まず、道を吉林へととったが、やがて、ソ連の参戦、日本の降伏と、情勢の転変に、輸送指揮官の満州国総務庁の岩崎参事官は、辛酸を嘗めながらも、ようやく、仁川港にたどりつき、そこで船便を仕立てて、佐賀県の呼子港まで運んできた。

もちろん、この阿片塊の日本輸送については、当時の日本政府との、打ち合せ了解済みのことであった。日本政府としては、厚生省を主務官庁として、その阿片受け入れを「閣議決定していたのであった。日本側の担当官は、当時の、亀山幸一厚生次官であった。

呼子港へ着いたものの、連合軍の占領下にあった日本では、MPの麻薬取締りが厳しくなり、だ捕される危険が迫ったので、岩崎参事官は、船を高知県大方港へ回したが、神戸で一部船員が阿片を盗んで上陸し、MPに逮捕されるという破目になった。

何しろ、溥儀皇帝も日本に亡命し、その満州帝国再建の資金という予定で出発した輸送隊だけに、本家本元の日本が降伏してしまった現在では、受入れるハズの日本政府が鹿十で横を向いてしまったのだから、岩崎参事官以下の一行は、全く宙に浮いた格好で、いうなれば、二階に上っている間にハシゴを外された形になってしまった。

これを知った頭山秀三、五島徳次郎らの国士たちが「引揚同胞の援護資金」にしようというので、米占領軍の第六軍司令官に交渉をはじめ、その管内である和歌山沖に船を回送させて、幾度かの折衝を重ねたが、第六軍司令官を説得し切れず、ついに一行は船もろとも、MPにだ捕されてしまった。満州、朝鮮の輸送間に暴徒に襲われて、一部を掠奪され、日本政府にソッポを向かれたため、船員の賃金は未払いとなって、またまた一部が船員に盗まれ、米軍に押収された時には、時価約八十億円に減っていたという。