当日の怒声、罵声のものすごさは、料亭の他の座敷の客まで、シーンとしてしまったほどだ
といわれ、捜査当局に参考人として呼ばれた〝見聞者の一人〟は「それこそ森社長以下三人の恐怖におそわれた姿と顔が、目に見えるようでした」と語っているほどであった。
この「料亭会談」の結果、資生堂のモルガン化粧品デッド・ストック買取りが決定され、モルガン化粧品の販売権買収の形の商行為とされることになった。このデッド・ストックを資生堂側は次々と廃棄処分にしたが、税法上の損金扱いをうけるため、国税庁係官の確認を得たほどであった。
モルガン側から次々に持ちこまれた現品に対して、資生堂が支払った金は総計一億七千五百万円におよび、これにさらに経費をかけて廃棄、焼却を行ったので、その実損害は二億を越えるといわれている。
この情報を入手した捜査当局では、もともと、モルガン化粧品への反対陳情が資生堂一社だけの行動ではなかったら、「料亭」のオドシの証拠を固め得たので、立派な〝恐喝事件〟として捜査をはじめたが、資生堂側の徹底した「商行為で、恐喝被害ではない」という拒否にあい、ついにモルガン一味の追及を断念せざるを得なかった。
ところが、さる四十二年五月、日本観光新聞社の幹部五人の恐喝事件を捜査したところ、同社に資生堂の広告が極めて多いことに疑問をもち、さらに同新聞社の資生堂に対する「恐喝事件」が伏在しているものとみて追及した。
恐喝→広告掲載→入金
その結果、日本観光新聞木村伍六社長(恐喝で起訴ずみ)のオイ木村政彦が経営する「日刊観光」紙専属の広告代理店で、資生堂の広告を扱ったさい、資生堂総務課員山本一郎が(仮名)広告料の半額百万円を横領していることが明らかになった。
当局では、山本が総務課員であることから〝資生堂が簡単に恐喝されるナゾ〟を解明するチャンスとみて、同人の取調べをしようとしたところ、早くも資生堂側では当局の企図を察知したらしく、自社内の横領犯人を告訴したり、クビにするどころか、反対にその上司の五ツ木課長(仮名)に「海外出張」を命じて、アメリカに逃走させ、証拠固めを不能にしてしまった。
「これでは〝会社ぐるみの犯罪〟ともいえる。捜査非協力どころか、捜査妨害だ」との声が第一線捜査官の間におきている。
資生堂では四十二年はじめに社長交代が行なわれ、過去の事情を一番知っている森前社長もまた、五ツ木のアメリカ逃走とキビスを接してパリに旅立っているが、これも、当局の捜査を事前に〝封殺〟する手だとみられている。
再販制度というのは、「再販売価格維持契約制度」といって、販売店がメーカーの指示価格で売るという契約を認めたものである。この独禁法の〝抜け穴〟が認められたのは、当時の小
売市場の販売価格の混乱から、消費者保護を必要とするということだったが、やがて混乱が納ってくると、この特例はかえってメーカー保護の妙味をみせてきて、はじめからこの狙いがあったのではなかったか、とさえいわれてきた。