黒幕・政商たち p.196-197 C氏が東棉から五百万円取った

黒幕・政商たち p.196-197 後に判明したところによると、出先記者と二十万円を山分けしたのち、B氏は自身で出かけていって、さらに東棉総務部長から五十万円をもらってきた。
黒幕・政商たち p.196-197 後に判明したところによると、出先記者と二十万円を山分けしたのち、B氏は自身で出かけていって、さらに東棉総務部長から五十万円をもらってきた。

記者が席にもどってみると、東棉側の相手はいなくなって、テーブルには二十万円の封筒が置き去りにされていた。

若い出先記者は、やむなくその現金を持って帰社すると、B氏は半分の十万円を、「取っておき給え」と、ポンとくれたという。だが、もちろん、話はそれで終らない。

編集の実力者であるB氏は、平記者で入ってから十余年の社歴があり、肩書こそ局次長だが取締役でもあり、広告、販売にも実績のある勢力家だった。後に判明したところによると、出先記者と二十万円を山分けしたのち、B氏は自身で出かけていって、さらに東棉総務部長から五十万円をもらってきた。

この事実を知った同紙の専務のC氏は、自分をおびやかす勢力をもつ、B氏を斬るチャンスとみたらしい。C氏は直ちに東棉にかけつけ、五十万円を出した総務部長とB記者とを同席させ、合計七十万円の話を対決させた。その結果、事実と判ってC専務はB記者に命じ、即座に五十万円を東棉に返却させ、翌日には、二十万円も返させた上、B氏の責任を追及して、ツメ腹を切らせたのであった。

無念やる方ないのがB氏である。いうなれば、〝恐喝呼ばわり〟されて、七十万円(部下にやった十万円分も負担)を吐き出させられた上、相手の前で面詰されて恥をかかされ、揚句の果ては、それを理由のクビである。編集を握っていたのだから自派系の記者を動員して、C専務を逆捜査した結果、C氏が今度は、東棉から五百万円を取ったという、〝噂〟を握ったから大変。肩書がなくなって一介の浪人とはなったが、そもそも、東棉の〝痛いハラ〟の材料を握

っているB氏である。香川社長に面談して、C氏の書いた五百万円の受取りの写しを要求する段取りとなった。

再び共産党代議士の登場

筆者の調査によれば、B氏のもとには、〝噂〟を伝え聞いた総会屋が数名、「共同作戦で東棉をシボろう」と申しこんできているといわれ、また、同社内の情報では、C専務の受取った金は、合計一千万円とまでいわれている。

朝日記事の続報は、週刊誌では、六月五日付の新潮が「経済」の一頁もので、朝日記事をなぞった程度。文中の談話から判断すると、告訴人の佐々木氏には会ってないようで、防衛庁政務次官で、〝某高官〟に擬せられている、自民党井原岸高代議士、被告訴人の東洋殖産岡林氏と、東棉豊田不動産部長らの話をまとめ、談話には登場しないが、告訴状については、質問者の志賀義雄代議士について取材しているようである。

週刊誌では「新潮」だけで、小新聞が前述の通りの、「マスコミ」と日刊観光。この二つの小新聞の記事を見くらべると、「マスコミ」が、「東棉」を見出しに一字も加えず、「井原代議士が介在か」、「政務次官室で取引」、「オマケに工作費も追加」、「政治への不信に拍車」と続いて、「原告は前科八犯」に終っているのが面白い。日刊観光の「東棉」ばかりの見出しと

極めて対照的で、「原告は前科八犯」に対応して、最後に「東棉側は逆にフンガイ」の見出しで終っており、第一弾の記事のうちから、「東綿」が姿を消している。週刊紙「マスコミ」と対比してみると、興味深い。