強まる「広報伝達紙」化
読売編集局における、局長の原四郎を評して、〝一犬実に吠えて万犬虚を伝う〟というべきである、と述べたのは他でもない。
局長と部長クラスとの間に、「断層」がありすぎるからである。「断層」については、さらに説明を加えねばならないであろう。前稿において、原を〝孤高の新聞記者〟と評し、〝古き良き時代〟における、ある新聞記者像として、二人の男の〝社を辞める〟という感覚を紹介したことを、読者は想起して頂きたい。
つまり、現在の部長クラス以下の、中堅幹部たちに、「畜生! 社を辞めてやる!」という、叛骨がすでに失なわれているのだ。個性を喪失してしまっている。新聞を作る、新聞記者たちの〝個性喪失〟は、すなわち、新聞そのものの、個性喪失を意味する。
早い話が、さる四十四年六月二十九日付の読売第十七面の「社告」の例がある。
「読売新聞はさる六月一日から紙面を刷新、連日二十ページとしてニュース面の拡充をはかるとともに、うち四ページをテレビ・ラジオ欄と読者の投書を主体として構成、扱いやすく読みやすい別刷りシステムをとってまいりました」
従来、何枚重ねかになっている新聞の、真ン中あたりのページにあったラジオ・テレビ欄を、これでは、番組探しのさいに、いちいち引ッ張りだしてくるのが面倒臭いので、手ッ取り早くラ・テ欄が見られるように、四ページの別刷りの、第二、第三面見開きに移すという「紙面刷新」を行なったということだ。
その結果、この別刷りの第一面に、読者投稿の気流欄と、呼び物の「昭和史の天皇」をすえ、
第二、第三面がラ・テ欄となった。こうすると、「読売新聞」の「新聞」たる所以である、政治、経済、社会の各面には全く〝触れる〟こともなく、新聞の中味を、折込広告と共に抜きとり、「扱いやすく読みやすい」ラ・テ欄に直行できるという仕組みになったわけである。
(承前)「これは幸い読者の圧倒的な支持を受けておりますが、本社によせられた多数のご意見のうち、別刷り四ページについて、テレピ欄は最初の面にあった方が、さらに便利だ、という向きが、日を追ってふえております。ごもっともなご意見ですので、七月一日から別刷り四ページを改定、ご希望にこたえることに、いたしました」
こうして、別刷り四ページの第一面がテレビ欄、第二面がラジオ・プロと放送ニュース、読みもの、第三面が「昭和史の天皇」「気流」「時の人」という、構成に変った。第四面は、従来からの全面広告である。
いうなれば、何の変哲もない「お知らせ」ではあるが、意味するところは大きい。
新聞はかつて、ラ・テ番組の掲載は、これを広告とみなすべきで、スポンサーの広告料で番組を作っている民放なのだから、この番組掲載に対して、ラ・テ局は広告料を支払うべきであると、主張したことがあった。たしかに、スジ論としては、この主張は正しかったが、民放に一蹴されてしまい、さりとて、ラ・テ番組のボイコットも叶わず、恥をかいただけで、この「番組広告論」は鳴りを静めてしまった。