正力松太郎の死の後にくるもの p.092-093 発表モノの特オチとは

正力松太郎の死の後にくるもの p.092-093 原因調査の結果、地方部小野寺記者の通報が、その夜の当番デスク山崎次長のもとにあったのだが、山崎次長は、これを自社の特ダネと感違いして、警視庁クラブに調査を命じた。「特ダネだから隠密に」と
正力松太郎の死の後にくるもの p.092-093 原因調査の結果、地方部小野寺記者の通報が、その夜の当番デスク山崎次長のもとにあったのだが、山崎次長は、これを自社の特ダネと感違いして、警視庁クラブに調査を命じた。「特ダネだから隠密に」と

私は、その日、その時、ずっと通産省の虎の門記者クラブに在室していた。残念ながら、仕事

ではなかった。通産省のクラブには、経済部を主力に、やはり、政治、社会部から記者が詰めている。私は他社の社会部記者たちと、マージャンをしていたのである。

負けがこんでいて、午後からずっと、ジャン台にかじりついていたのだった。そして、その日、そんな大事件が起きているとも知らず、夜の九時すぎまで、他社の記者を放さなかったのである。彼らも、国税庁や文部省の兼務はいたが、農林省兼務なのは私一人であった。

大負けした私は、そのまま社へも上らず通産省から帰宅してしまった。そして、翌朝、自宅で、朝日、毎日を見て、「多久島事件」の大々的な記事の扱いに、ガク然としたのだったが、〝発表モノ〟と判って、安心して、最後に読売をひろげた。

無い! 自社は出ていないのである。

スッと、背筋に冷たさが走った。

「そんなバカな! 発表モノなのに……」

私は、あわてて各面を繰ったが、読売だけ、一行すら載っていないではないか。

重い、苦しい気持で農政クラブに電話を入れると、地方部の記者が出た。

「私は発表を聞いて、社会部のデスクに入れておきましたよ」

不安はさらに募った。ニュースが入っているのに出ていないとは……、かつて、立松、萩原両記者と共に、法務庁クラブで、朝連解散の発表モノを、号外落ちした時よりも、重い足取りで社

へ向った——景山社会部長も蒼い顔であったし、原編集総務も、沈痛な表情であった。こんな大事件の、発表モノの特オチとは、まさに醜態の限りであったからだ。

原因調査の結果、地方部小野寺記者の通報が、その夜の当番デスク山崎次長のもとにあったのだが、山崎次長は、これを自社の特ダネと感違いして、警視庁クラブに調査を命じた。

「特ダネだから隠密に」という注意を守った、捜査二課担当記者は、庁内を当ってみたが判らないので、翌日回しということになったのであった。

いずれにせよ、農林省詰めである私の責任はまぬがれ得ない。ことに遊んでいた時の失敗だから、自責の念にかられた。

ところが、原因調査のさい、山崎次長は「農林省の事件だからと思い、警視庁へ連絡する一方、三田を探して、農林、通產両クラブに社電を入れたが、三田がいなかったので、翌日廻しになった」と、弁解したという話(注。私は以後山崎次長と口を利いていないので、確かめてない)を、部長に聞かされて、私は怒った。

「責任転嫁を部下にするなど、とんでもない野郎だ。今だからいいますが、当日、私はマージャンで通産省クラブから、一歩も外へ出なかったのです。その間、一度だって社電はなかった。他社の三人の証人もいるんです。第一、通産省クラブを呼んだという、電話交換手を明らかにして頂きたい」