刑法、刑事訴訟法をノゾきもしない、社会部記者の書く〝事件記事〟——これこそ、女性週刊
誌の社外記者たちの書く記事と、軌を一つにしており、感覚で取材し、感覚で執筆しているとしか認められないのである。
そのミスを見落すデスク、疑問を感じない校閲(私が社会部記者だったころの校閲記者たちは、「これは間違いでしょう」「これでは文意が通りません」「これは用法上誤まりです」と、ゲラを片手に、社会部デスクに押しかけてきたものであった)、全くのところ「新聞」はすでに「新聞」ではなくなってしまったのである。
そして、この〝新聞記者魂〟は、もはや、読売や朝日などの、超巨大新聞の、編集局現場にはたずね当らず、小人数ながら、大きな発行部数をもつ、「週刊新潮」などに見られるのも、何と皮肉なことであろうか。
「週刊新潮」をひろげてみると、毎号二本ほど入っている「告発シリーズ」、「罪と罰」欄、「週刊新潮」欄、「東京情報」、「タウン」などの頁は、その批判と抵抗の精神において、新聞本来のあり方を踏襲しているようである。もっとも、雑誌らしい〝糖衣錠〟であったり、〝人工甘味料〟などを用いたりはしているが、今日の「新聞」よりは、はるかに積極果敢に、社会正義のためへの戦いを挑んでいる。
さきごろ、新潮社の社員の夫人が、身重の身体で、北海道の雪の下から、死体となって発見される、という事件があった。同社幹部と、いささか縁辺の者であったとかで同姓だったため、こ
のニュースは新聞雑誌を色めきたたせた。〝社長夫人〟と誤伝されたためであった。
この時、同社幹部は、事情が明らかでないために狼狽して、マスコミ関係各社に、同事件の不掲載方の工作をはじめだしたという。それと知った現場の記者たちは、猛烈な突きあげで、そのような〝ウラ工作〟に反対した、といわれている。「そんなことをしたら今後の取材がやれなくなる」という理由だったらしい。
幸いにも、その後、事情が明らかになって、スキャンダルではないということになり、幹部たちも〝ウラ工作〟をやめる結果となった。記者たちは、この事件を故意にスキャンダルにとりあげる社があったなら、真相を十分に納得がゆくまで説明し、それでもやるというなら、その社に対して、反撃を加えようと、体制を整えて待機していた、とまで伝えられている。
伝聞で恐縮だが、この話の真否は、取材していない私にとって、明らかではない。しかし、この〝ヤミ取引〟を中止させる、現場記者の突きあげ、取材側への十分な説明と、デマ・メーカーへの反撃準備などというのは、いわゆる週刊誌記者の、従来のあり方とは全く違って、いうなれば、あまりにも新聞記者的である。
このような基本的な姿勢の積み重ねの結果、「週刊新潮の記事はツブせない」という〝週刊誌らしからざる〟評価を獲得しているのである。しかし、このような「姿勢」とその「評価」は、本来は「新聞」のものでなければならなかった、のである。そして、読売新聞もまた、その例外 ではない。