社会面についていおう。
例の「板橋署六人の刑事」事件である。さらにまた、「糸川口ケット」「科学研究費」など、伊
藤牧夫社会部長(西部編集局次長)時代の、一連のキャンペーン記事が、読者には眼をみはらされたものである。
これについては、面白い資料がある。光文社発行の、「宝石」誌(42・11月号)が、「宝石レポート」という、特集記事で、「〝紳士〟をやめたか? 朝日新聞社会部」というのを取りあげている。「刑事入浴事件、コラーサ号、東大宇宙研問題など、独走的紙面作りは何を意味するか」という、リードがこの記事の内容を示していよう。
ところが、翌十二月号に、伊藤牧夫の抗議と反論、編集部のお詫びと釈明とが、併せて掲載されたのである。
編集部のお詫びから。「編集では、さっそく取材記者を集め、指摘された部分の事実関係を調査しました。その結果、遺憾ながら、かなりの個所で、事実誤認ないしは記述の不正確があることが判明しました。誤ったデータにもとづく批判によって、朝日新聞社会部の名誉を傷つけたことに対し、慎んでお詫びいたします。
ただ、私たちは、意図的に朝日新聞社会部を誹謗攻撃しようとしたものでないことは、ここに釈明させていただきます。今回はたまたま、取材記者間の意志の疎通を欠くといった不手際から、取材内容のコンファーム不足、引用文献の点検不十分をきたし、上記の事態を招いたものであります」
この一文に、雑誌記者の手になる特集記事なるものの実態が、あますところなく現れている。〝今回はたまたま〟とはいうが、抗議されないで、ホオかむりのまますませているであろう、他の多くの記事があることを物語る。
文春、光文社には、社外ライターとして多くの草柳プロ出身者が入っており、基礎的な事件取材の訓練をうけないまま(うけても成果がなかったか?)、実戦に参加しては、書きなぐっている。その〝独特〟な表現手法は、文章の叙述の中に、括弧で仮名の談話者を入れてゆくやり方で、これが、それぞれの本社員記者にも伝染しつつある。
宝石レポートを読んで、第一に感じたことは、前文で「新聞協会賞を受賞していない」という、決定的な一行が出てきたので、これはクサイ記事だということだった。協会賞は昭和三十二年からはじまったから、十年経っている。協会というあり方からいって、その間に朝日がうけられない可能性は少ない、うけているに違いないというのが常識であろう。しかも、それは協会への電話一本で確認できることではないか。それを怠っている。
果せるかな、文中には、E紙記者、C紙記者、D紙記者、B紙記者という、〝無責任な談話者〟が、この順で登場してくる。イニシアルでないのなら、登場順にB、C、D、Eと出せばよいものを、そこにゴマ化しがうかがわれるのだ。そのくせ最後には、T紙記者が出てくる。これですべて社名のイニシアルと、思いこませようという〝詐術〟である。週刊文春の特集「あの〝特ダ
ネ〟記者は今どうしている?」(40・10・18)に登場させられた、私自身の体験からいっても、「と氏に近い人は説明する」「氏の友人の一人はいう」「というのは、ある古手の社会部記者だ」と、多くの人物に取材しているような表現をとっても、実はすべて私一人の話なのである。