読売梁山泊の記者たち p.220-221 頭も人柄もいい次男坊

読売梁山泊の記者たち p.220-221 立松和博。エピソードに満ち充ちている男だった。〝偽悪者〟を装い、若くして、読売のスター記者として、まさに一世を風靡したのち、売春汚職の大誤報で地に堕ちて、不遇のうちに早逝した。
読売梁山泊の記者たち p.220-221 立松和博。エピソードに満ち充ちている男だった。〝偽悪者〟を装い、若くして、読売のスター記者として、まさに一世を風靡したのち、売春汚職の大誤報で地に堕ちて、不遇のうちに早逝した。

大誤報で地に堕ちた悲劇のスター記者

立松和博。朴烈事件の予審判事として著名な、父・懐清と、これまた、ソプラノ歌手として高名な、母・房子との血をうけて、頭も人柄もいい、次男坊であった。父は、早逝したが、その検察関係の友人たちが、立松を可愛がった。

父親と親しかったのは、検事ばかりではない。警視庁官房主事であった、正力松太郎もその一人で、海軍予備学生から復員してきた立松は、正力の口利きで、昭和二十年十月、人手不足の読売に入社した。

そして、戦前の司法記者であった、社会部長の竹内四郎にも、可愛がられた。私が入社した昭和十八年十月には、竹内は、筆頭次長であり、東京府立五中の第一回卒。私は、十六回卒だから、十五歳の差があったが、同じように、目をかけられたものであった。

そして、やがて、司法記者クラブ詰めとなって、立松と一緒に仕事をすることになる。まだ、法務庁の時代で、法務総裁は吉田茂首相の兼務。立松の紹介で、時の検務長官・木内曽益にも会う。木内と立松との会話を聞いて、立松の母・房子や、兄姉たちの様子をたずねる彼に、二人のつながりを感じていた。

この司法記者クラブ一年間の勤務は、ただただ、立松の華やかな、連続スクープのスターぶりに、圧倒されつづけていた。

昭電事件である。福田赳夫、栗栖赳夫、西尾末広と、読売は朝刊で、重要人物召喚を予告し、事態はその通りに展開したのだから、立松の活躍ぶりは、各社をして、歯ギシリさせていた。そのころ、政治家と役人とは「朝起きたら、まず、読売を広げて見る。自分の名前が出ていないのを確認して、ゆっくりと、朝日を読む」といわれたほどだ。

この立松について書き出したら、それこそ一冊の本になるほどの、エピソードに満ち充ちている男だった。そして、それをやったのが、本田靖春の「不当逮捕」(講談社)である。〝偽悪者〟を装い、若くして、読売のスター記者として、まさに一世を風靡したのち、売春汚職の大誤報で地に堕ちて、不遇のうちに早逝した。ドラマチックに生きた男の記録が、本田の名文で綴られている。

彼は、この著で、講談社のノンフィクション賞を得ている。その受賞パーティーが、東京会館で開かれた時、私は、彼にいった。

「おめでとう。立派な本で、受賞は当然だけど、立松と検察との問題で、ボクは意見が違うんだ。そのうちに『異説・不当逮捕』を書きたいよ」

売春汚職大誤報事件について、私も、本田の取材を受け、当時の検察について、質問されるままに、私の知識を語り伝えた。と同時に、立松の、当時の心理状態や、景山社会部長との関係についても、話したのだが、本田は、それを採らなかった。

本田の執筆態度を、非難しているのではない。その本の帯に謳われているように、「名誉毀損 逮捕 死 大新聞スター記者が越えられなかった、戦後史のハードル!」と、スターや英雄の最後が、悲劇

であることが、人びとに感動を与えるのを、認めてのことだ。