正力松太郎の死の後にくるもの p.298-299 あの檄文を「声」欄に安川第五郎名儀で

正力松太郎の死の後にくるもの p.298-299 すると、安川老は一カツしたそうである。「新聞の投書欄に引きずりこもうというのか!」と。ニセ投書やらで〝声〟価をとみに落した〝声〟欄である。投書するのは常連で、それこそ〝車夫馬丁の集り〟ぐらいにしか、安川老には考えられないのだろう。
正力松太郎の死の後にくるもの p.298-299 すると、安川老は一カツしたそうである。「新聞の投書欄に引きずりこもうというのか!」と。ニセ投書やらで〝声〟価をとみに落した〝声〟欄である。投書するのは常連で、それこそ〝車夫馬丁の集り〟ぐらいにしか、安川老には考えられないのだろう。

八十円の値上げ分が、社に入らなかったことは確かであろう。しかし、それが販売店主に渡さ

れるということは、地域差のため一律化がむずかしい(本社員に加え、組合員とすれば、従業員の待遇の一律化も可能である)とはいっても、タクシー値上げと同様に、会社が肥るだけで、運転手は依然としてカミカゼ、乗車拒否というのと同じである。

そして、「宅配確保のため」という理由で、ともかくも、四十三年の値上げが読者に押しつけられたのであったが、ふたたび、四十四年度の値上げ九十円が、さまざまな理由で押しつけられた。トップを切った毎日が十月十五日、読売十九日、朝日二十二日、サンケイ、日経二十五日といった順である。国鉄の新聞運賃値上げが第一の理由で、菅野経企長官の撤回要求無視の上だ。

「レンタル・システムのファクシミリが各家庭に備えつけられて、家庭では、必要とする種類の通信をとって、その料金を支払うことになろう。そんな時、全面広告が送られてきたりして、その料金を請求されてモメたりするかもしれない。それでも、外国の学者や新聞人たちには、今の形の新聞は滅亡しないという意見が強い。その時代への準備は怠っていない」

簡単にハショッたが、渡辺の〝未来新聞学〟は、さながらSF小説のように面白かった感じが残っている。やはり、なかなかの人物のようである。

私は反問した。「部数が不安定では、経営が不安定だというのは新聞経営者としての一方的な考え方であって、そこでは〝読者不在〟ではないでしょうか」と。

事実、これからの「マスコミとしての新聞」においては、いよいよ読者不在の傾向が強くなっ

てゆくのである。それが、朝日、読売の二巨大紙の〝超巨大化〟を推進して、いわゆる言論機関としての機能が退化し、意見広告などの、広告面を中心とした〝広報伝達紙〟の形をとってくるであろう。

意見広告を朝日に拒否された東大OBの会では、渡辺重役のあっせんで、あの檄文をそのまま、投書欄の「声」欄に安川第五郎名儀で掲載しようと申込まれた。すると、安川老は一カツしたそうである。「新聞の投書欄に引きずりこもうというのか!」と。竹山道雄の「ビルマの竪琴」論争やら、ニセ投書やらで〝声〟価をとみに落した〝声〟欄である。いくら、オピニオンのページと銘打っても、投書するのは常連が多い(太田秘書室長の話)ので、一部の特殊な人物に利用されているのだから、それこそ、〝車夫馬丁の集り〟ぐらいにしか、安川老には考えられないのだろう。

意見広告のすう勢に、同時に、言論機関としての、ミニコミ、小新聞、ガリ版新聞の隆盛を促してくるのだ。ここに、ハッキリと大新聞と小新聞の機能別併存が約束されよう。

「社主問題は、極めてよい状態へと向かっており、解決の曙光が見えてきている。それは、村山社主側が常に側近にまどわされて、朝日新聞にとって、悪い方の途をえらびつづけられたから、社内に支持者を失ったことと、広岡社長の下で、社運が隆盛へと進んでいること。さらに重大なことは、社主の次女富美子さん御夫妻が、解決への努力をつくされていること、などが理由です」