正力松太郎の死の後にくるもの p.312-313 毎日の〝ショック療法〟

正力松太郎の死の後にくるもの p.312-313 大小のショックを与えてみて、一時は病状好転かと思えたが、結果はやはり、思わしくなかったのである。例えば、〝国際事件記者〟として売り出され、すっかり〝スター〟になってしまった、大森実の退社問題がある。
正力松太郎の死の後にくるもの p.312-313 大小のショックを与えてみて、一時は病状好転かと思えたが、結果はやはり、思わしくなかったのである。例えば、〝国際事件記者〟として売り出され、すっかり〝スター〟になってしまった、大森実の退社問題がある。

「田舎記者をこの大東京にもってきて、即座に戦力たり得るだろうか。マンモス東京のもつ環境的な悪条件が、清浄な地方の条件に適応していた彼の肉体や精神に変化を与えるのが当然だ。た

とえば、興亜建設大橋事件の抜かれっ放しなど、地方の区検と、東京地検特捜部とを同一検察庁とみるに等しい。そりゃ、上京当時こそハッスルするだろうが」

彼は、派閥打破の上田の意欲に、十分に納得し、それに賛成した上で、こう、技術的に批判する。

電波の発達によって、新聞はその速報性を奪われたという。確かにそうであろう。しかし、新聞が失った速報性は、ホンの一部のニュースの分野で、である。またいう。速報性を失った新聞は、その解説性を強調すべきであり、記録性をも具備しなければならない、と。事実である。だが、新聞はすべての分野で、速報性を失っていない。

新聞が解説を主力とするならば、解説は主観が入るのだから、署名記事にすべきで、署名が入るから、スター記者が生れるのが当然である——この論理の組み立ては、一応筋道が立ってはいるが、重大な誤ちを犯している。第一前提である、「新聞は解説を主力記事とする」という点で。

今、三紙の記事量の何パーセントが解説であろうか。速報性をほとんど失っていない新聞の現状で、かつまた、現在の新聞が必死になって、維持しようとしている「宅配」の習慣、そして、紙面をひろげてみるという、随時性の長所に、完全に馴らされている読者の現況の中で、新聞は依然としてその速報性を失っていないのである。

テレビ受信機の普及率、トランジスタ・ラジオの生産台数、カー・ラジオの……と、どんなデータをあげても、新聞が奪われた速報性は、ホンの僅かであり、それを立証するものは、一日に

三千万枚も発行されている新聞紙面で、ニュースの占めているパーセンテージである。これが、私のいう、毎日の〝ショック療法〟の根拠である。スター記者は意識して造られたもの、なのである。毎日新聞の退勢挽回のコマーシャリズムのため、〝売り出された〟ものである。この、スター売り出しが、ショックとなって、全社が立ち直るかと判断されて、大きなショックを与えてみたのである。人事交流しかり、若手抜てきしかりだ。大小のショックを与えてみて、一時は病状好転かと思えたが、結果はやはり、思わしくなかったのである。

〝外報の毎日〟はどこへ

例えば、〝国際事件記者〟として売り出され、すっかり〝スター〟になってしまった、大森実の退社問題がある。

大森記者の退社をめぐるイキサツも、各種の情報が入り乱れて、真相はつかみ難い。しかし、その〝各種の情報〟が出るところに、今日の毎日の性格が現れている、と、みることは偏見にすぎるであろうか。