正力松太郎の死の後にくるもの p.352-353 菅尾、岡本、長谷川のトリオ

正力松太郎の死の後にくるもの p.352-353 〝新しい血〟を入れての、〝報知独立王国〟への第一歩。正力コンツェルンの一翼、あるいは、読売の子会社としてではなく、かつまた、務台直系の子分たちの、務台を背景とした植民地としてではなく、〝新生報知〟を築く。
正力松太郎の死の後にくるもの p.352-353 〝新しい血〟を入れての、〝報知独立王国〟への第一歩。正力コンツェルンの一翼、あるいは、読売の子会社としてではなく、かつまた、務台直系の子分たちの、務台を背景とした植民地としてではなく、〝新生報知〟を築く。

長谷川は、決して怒りをあらわさない男である。いつも、ニコニコしている。すくなくとも、社会部次長以後に、彼の怒り顔をみた者はあるまい。そして、ポンと肩を叩いて、お茶に誘うのである。記者としての能力と実力とがありながら、なぜ、ニコポンを信条とするのかはわからないが、ある意味では、〝異常な出世欲〟であるかもしれない。

つまり、報知編集局にとっては、従来、見たことのない、人種の違う局長が出現したのである。まず、狼狽したのが、部長連中であった。上と下との断絶。その中間に位するがゆえに、仕事はサボれ、役得すらもあったのである。そこに、代取副社長という〝実権〟すらも持った、変り種の局長である。たちまち、上下の風通しがよくなりはじめたから、部長連は〝風にそよぐ葦〟である。

報知建て直しの、菅尾—岡本コンビは、ともかく、さきの近藤の文書にもある通り、組合に何も与えずに、一七二日の春闘に堪え抜いた。もちろん、与えはしなかったが、会社は休刊という深傷も負いはしたろう。これは、正力が生きている時の事実である。そして、正力からの解放感を背に、編集のわかる長谷川というトリオを組んだ。長谷川の評価は、まだこれからではあるが、これまた、新風をもたらしたことは否めない。

また、新聞と印刷の共闘打破、印刷労組の第二組合結成と、かつての報知では考えられもしなかった、金字塔が早くも打ちたてられたという事実は、これまた、報知も静かに変りつつあると

いうことだ。しかも、その変化は、〝新しい血〟を入れての、〝報知独立王国〟への第一歩とみるべきであろう。

正力コンツェルンの一翼、あるいは、読売の子会社としてではなく、かつまた、務台直系の子分たちの、務台を背景とした植民地としてではなく、私は、菅尾、岡本、長谷川のトリオが、今や、〝新生報知〟を築く、基礎の担い手だとみている。

竹内四郎の時代は、娯楽紙「報知」を、刷れば刷るだけ売れた時代ではあった。だが、最近では、競馬、競輪ファンたちは、より専門化してきて、一般スポーツ紙を離れ、それぞれの専門紙読者に移りつつあるため、スポーツ紙の部数は、横バイになりつつある。そのためにも、報知の経営は、さらにキビしいものとなるだろう。そこにこそ、新しい報知へと、脱皮の可能性があるのである。

ただ〝新しい報知〟への唯一の懸念は、菅尾、岡本のコンビに、大正力の死後の影響が、どんな形で投影してくるであろうか、ということである。今まで、報知の労担であった岡本の、組合工作は〝金〟であった。第二組合ができた時、第一組合は罵った。〝岡本の金で……〟と。第二もやり返した。〝オ前らだって、もらってるじゃないか〟と。この工作で、二人はどうなるか?

さて、こうしてみてくると、正力コンツェルンの有力メンバーである、日本テレビも報知新聞

も、どうやら、〝正力のモノ〟ではなくなりつつあるようである。ことに、日テレは公開会社だから、なおのことである。