最後の事件記者 p.216-217 誰もブタ箱などという者はいない

最後の事件記者 p.216-217 「オイ、ブンヤさん。電話だよ」ここは警視庁一階の留置場。逮捕状を執行されて、ブチこまれてから、生れてはじめての留置場生活。〝電話〟と聞いては、驚きのため飛び起きざるを得ない。
最後の事件記者 p.216-217 「オイ、ブンヤさん。電話だよ」ここは警視庁一階の留置場。逮捕状を執行されて、ブチこまれてから、生れてはじめての留置場生活。〝電話〟と聞いては、驚きのため飛び起きざるを得ない。

最後の事件記者(実業之日本社)

文春誌につづいて、昭和三十三年十二月に刊行した、同名の単行本の再録。文春誌の内容が、事件そのものであるのに対し、こちらは 自叙伝的な構成で、著者の「新聞と新聞記者論」をまとめている。

著者の読売社会部時代の、数々のエピソードを綴りながら、大新聞の内部からの、新聞・新聞記者とはなにか、の問いかけをつづけているが、四十四年十二月、創魂出版刊行の「正力松太郎の死の後にくるもの」で、外部からの大新聞批判を行い、結論づけている。

我が事敗れたり

浅草のヨネサン

「オイ、ブンヤさん。電話だよ」

「エ? 電話?」

私は自分の耳を疑った。思わず上半身を起したほどだった。

ここは警視庁一階の留置場、第十一房である。七月二十二日の夕刻、逮捕状を執行されて、ブチこまれてから、生れてはじめての留置場生活に、毎日、新聞記者根性丸だしの取材を続けていた私だったが、〝電話〟と聞いては、驚きのため飛び起きざるを得ない。

板敷きの上に、タタミ表のウスベリを敷いた留置場は、正座が、留置人心得という規則によって原則である。しかし、旅馴れた私は早くも担当サンの眼を盗んで、横になって午睡をたのしんでいたところだった。

二十五日間も暮したが、誰もブタ箱などという者はいない。つまり、往時の、不潔極まりない房内から、ブタ箱という名が生れたのだろうが、出たり入ったり、また出たりのオ馴染みさんで

さえ、留置場という。ブタ箱という名は、全くすたれたようだ。