「あんた、何です?」
何罪でパクられたのかということだ。私は心中ニヤリとした。この質問を待っていたからである。留置場でも、生活の智恵は必要である。
〝小さな喫茶店で、タダ黙って〟と、恋人と二人きりでいるようなワケには参らんのだった。
「ウン……。(ちょっと口籠って、どう説明したら判ってもらえるのかな、といったようなハッタリをつ
けて)つまり、難しくいえば犯人隠避といって……」
「ああ、読売新聞のダンナですね」
ヨネさんは、私の思惑を裏切って、ズバリといい切った。
「エエ、ソウ」
私は驚くと同時に、極めて不器用な返事をしてしまった。
「新聞記者でもパクられるのかねェ」
彼は感にたえたようにいう。もう、ずっと以前から私のことを知っていたような、親し気な調子だ。ヨネさんは、このように情報通であった。そして、その情報が、どうして集まるのかという、ナゾを解いてくれたのが、この電話だったのである。
安藤からの電話
「安藤サン、安藤サン、ただ今、三田さんが出ますから、しばらくお待ち下さい」
ヨネさんは、留置場の外側の金網にヘバリつくと、看守の巡回通路の壁に向って、無線電話の通話調で話しかけた。呆ッ気にとられている私を促すと、チラリと内側の金網に視線を駆って、中央見張り台にいる看守の動静をうかがう。
扇形に看房が並んでいる留置場は、カナメにあたる部分に、潜水艦の司令塔のような見張り台がある。ここに看守が一人坐ると、一、二階とも全部で二十八の看房が、少しの死角もなく見通
せるのである。
その他に数人、収容者の出入を扱う看守がおり、彼らは手が空いていれば、動哨する。
「オレがシキテンをキッてる(見張りしている)から、あの便器にまたがって、用便と見せかけて話をするんだョ」
電話のかけ方から教わるのである。新米記者さながらに、私は教えられた通りにして、安藤親分のいるとおぼしきあたりに向って、小さな声で答えた。
「ハイ、三田です」
「ア、三田さん? 安藤です。体は大丈夫ですか?」
「エエ、大丈夫です」
私が留置場に入った翌朝、洗面の時にどこからか声がかかった。洗面は、例の見張り台の下のグルリに、水道栓がついて、流しになっているのである。
「オイ、読売! 身体は大丈夫か!」
「話をするンじゃない!」
見張り台、つまり洗面中の真上から、叱責の声がとんできた。昨夜、二階の二十二房というのに、はじめて熟睡した私だったが、まだ場馴れないのと、留置場内の地理に明るくないので、その声が私を呼んでいることは判ったが、何処からなのか、誰からなのか、見当もつかないのである。
それに、メガネを取り上げられているのだから、キョロキョロ見廻したが、金網ごしの相手の顔など、判りやしない。