「ブンヤさん! 担当!」
ヨネさんの低く押しつぶした、鋭い声が飛んだ。私はさり気なく金網をはなれて、腰をふり、小用を済ませたように装った。
コツ、コツ、コツ。巡回の看守が、房の中を覗きこみながら通りすぎる。内側から看守の動きをみていたヨネさんが、安藤の九房の前を通りすぎたのを確認して、「イイヨ」と合図した。
断線である。電話は事故のため、通話中に切れてしまった。すぐ復旧にとりかからねばならない。要領を覚えた私は、また金網にヘバリついて、小声で十房を呼んだ。
「十房、十房。十一房から、九房の安藤さん」
「ハイ、十房」
私の声を聞きつけて、十房の見も知らぬ男が立ち上ってきた。
「十一房の三田から、九房の安藤さん」
「九房、九房。十一房の三田さんから、九房の安藤さん」
「ハイ、安藤です」
「アア、三田です」
断線した電話は、即座に復旧した。このように自由を拘束された留置場の生活では、案外に相互扶助の義務感が強いようである。電話が開通すると、はじめの中継者の十房は、すぐ離れてゴロリと横になったようだ。外側の壁に向って、九房の位置を考える。入射角と反射角は同じなのだから、ワン・クッションで、声が通る。九と十一なら、顔が見えないだけで、ヒソヒソ話が充
分に通ずる。
「それで、〆切は何時だって?」
「二十日までに書いてくれって。どうせ弁護士への口述になるんだけどネ」
「フーン。紙と鉛筆位、調べ室でくれないのかい?」
「ウン。……それでね。何を書いたらいいか。少し教えて下さいよ」
「担当!」
また断線である。私は金網をはなれると、ウスベリの上に寝ころがった。
我が事敗れたり
静かに考えてみる。文春が安藤に手記を依頼してきた。〆切は二十日だという。これこそ、私にとってはビッグ・ニュースだった。
文春が八月はじめに出した九月号に、横井英樹と三鬼陽之助の対談をのせ、『大不平小不平』という、新聞批判の欄では、「苦しかった〝元〟記者」と、私の事件を取り上げていることは、読ませてこそくれなかったが、調べ官の木村警部が、得意そうに鼻をウゴメかして、私にパラパラと見せてくれたので、すでに知っていた。
私が逮捕された数日後に、調べ主任に各社の記事の様子、つまり取り扱い方を聞いたことがある。すると、石村主任はしいて無関心をよそおっていった。