何しろ、公判へ廻ってからのメーデー事件と
いうのは、アカハタとインターナショナルの歌の渦で、怒号、拍手など、とても審理どころではなく、その法廷闘争には裁判所も手を焼いていた。そんな狂騒の中で、いわば興奮から事件にまきこまれた、可哀想な被告たちのうちには、静かに考え出す者が出はじめて、分離公判を希望するものがあったのだが、今までは表面化していなかったのである。
村木弁護士への依頼者というのは、メーデー事件で、率先助勢と公務執行妨害の二つで起訴された、Kという東大工学部大学院の学生であった。彼は、メーデーに参加して、あの騒ぎが始まり、落したメガネを拾おうとしたところを、警官に殴られたので殴りかえしたという、検挙第一号の男だった。
私選弁護人を頼んできた理由というのが、統一公判を受けていたら、一体何時になったら終るのか判らないし、公判の度に休まねばならない。メーデー事件の被告というだけで職にもつけない、という悩みからだという。
そのころ、メーデー公判は、「統一なら無罪、分離なら有罪」と、しきりに宣伝されていて、被告団の結束を固め、法廷闘争を行っていた時期だった。村木弁護士に聞けば、さらに二人の被告が、分離を希望して相談にきているという。
私は、このようなメーデー公判の客観状勢を知っていたので、この分離希望の第一号はニュースだと感じた。しかも、K被告だけではなく後にも続いているという。
共産党はもうゴメン
車を飛ばして、練馬の奥の方のK氏の家を探した。会って話を聞いてみると、分離希望の第一の根拠は、「もう、共産党はゴメン」ということだった。家庭教師の口は断られ、就職が内定していた会社は取消す、妻は臨月で、もう喰って行けないのだ。だから、共産党でないということを、客観的事実で示したい——というのである。
私は心中ニヤリとした。いわば、彼の立場は〝裏切者〟第一号である。
「宜しい。あなたが共産党でないことは、記事の中にハッキリと書いてあげましょう。共産党とされて、喰って行けなくなったのだから、それを明らかにすれば、道は通ずるでしょう。そのことを手記にして、弁護士に訴えなさい。それがニュースのキッカケになるのですから……」
こうして、その記事は「自由法曹団をやめないと、真実はいつまで経っても判らない」という、共産党の指令のもとに、法定闘争という戦術の場にメーデー公判を利用している自由法曹団を、被告という内部から批判したものとしてまとめられた。
十月一日の投票日の数日前に、私はその原稿を提稿したのだったが、選挙前で紙面がなく、しばらくあずかりになっていた。
ところが、共産党の候補者が全滅し、それに対する論調が賑わっていた十月三日の夕刊に、それがトップで掲載されたのである。「共産党はお断り」という、大きな横見出しが、開票直後だっ
ただけに、凄く刺激的で、効果的だった。