メッセンジャー記者?
そして、それは現在にも引きつがれている。どんな能力も、日頃の錬磨なしにはのび得ない。取材力も表現力も、月月火水木金金あるのみである。だが、今の記者諸君の多くは、それを怠っている。その理由は、(そんな努力をしたって)ひき合わない、ということである。
実際に、今はひき合わないことは確かである。社会秩序は安定し、動乱はのぞむべくもない。動乱の時こそ、社会部ダネが労せずして転がっているからであろう。
如何に新聞記者に、原稿が書けない奴が多いか、ということは、週刊誌はじめ、記者がサイドワークの原稿を書き得る雑誌の、編集者が一番良く知っているに違いない。
さきごろ、四、五人のサツ廻りの記者たちと一パイのビールをのんだ。「どうだ。この雑誌に原稿を書いてみないか」と、私がすすめたのだが、一人を除いて皆イヤだという。そんなことに時間を費すよりは、マージャンでもしていた方が良いというのだ。
また、ある事件を調べようと思って、その警察に出かけていったことがある。折よく、その署の担当記者に出会ったので、まず彼に聞いてみると、彼は知らない。すると彼は他社の記者から取材しようとした。
ところが、その記者も他社の記者のメモを借りて、それで社へ送稿したとみえて、その記者も知らない。やむなくその記者は、私を連れて、捜査主任のもとへ行ったが、その捜査主任の名前もよく知らない始末だ。サツ廻りが捜査主任と、オースという仲でなくて、何のサツ廻りであろうか。
これは九牛の一毛であるのかもしれないが、若い記者の多くが、このように、不勉強で、しか
も、努力をしようとしないのだから、新聞がつまらなくなるのも当然である。やがては、表現力も取材力もない記者、官庁の発表文を伝えるだけの、メッセンジャー記者時代になるのだろう。
『サンデー毎日』の特別号というのがある。話に聞くと、あの毎月の号を、企画会議で何々特集号と決ると、社会部のその関係の記者がより集って、請負制のような形で原稿をかくのだという。そのやり方はともかくとして、毎日の記者たちがそのため、取材から執筆まで、〆切に追われて苦しんでいるのをみると、記者の訓練にはよいことだと感じていた。どんなマージャン好きも、その時には手を出さないほどだからだ。
何故、何故、何故
私はこうして、いずみで文章のケイコをすると同時に、そのネタ探しで取材力を養っていた。上野を持つ他社の記者たちとは極めて仲良く遊んでいても、一たん仕事となると全く変った。今のサツ廻りが、クラブを設け、麻雀や花札に遊び呆け、幹事が次長の発表を聞いてきて、各社へ流すというやり方など、余程のゴミでないとやらなかった。
尊敬する先輩の一人、辻本芳雄次長は、当時のカストリ雑誌に、原稿を一生懸命書いている私をみて、忠告してくれた。「筆を荒れさせるなよ。荒とう無けいなことを書くと、筆が荒れるよ。雑誌原稿を書くなら、あとに残るもの、あとでまとめて本にできるようなものを書けよ」と。
私は筆の荒れるのを警戒して、カストリの中でも、エロなどの変なものは書かなかった。また あとに残るものをと心がけた。