当時、マニラ系のバクチ打ちで、テッド・ルーインの片腕といわれるモーリス・リプトンが、このマンダリン・クラブの二階で、鉄火場を開こうとしたらしい。ところが、警視庁の手が入ったので、ポリスに密告したのはお前だろうと、リプトンがパイコワンをおどかしたことがあるという。
「ヤイ、ここが東京だからカンベンしてやるが、シカゴだったら、もうとっくに〝お眠り〟だぜ!」と。
リプトンにそのことを聞くと、「ナアニ、久しぶりであったものだから、懐かしくて眼を少し
大きくムイただけでさア」と、笑いとばされてしまった。
しかし、パイコワンは、殺されそうだと騒ぎ立てた。その話をききに、〝密輸会社〟といわれるCATの航空士と住んでいた、赤坂の自宅に彼女を訪れたのが、交際のはじまりであった。
「ねえ、私、日本人にはお友達がいないのよ。どうしたらいいか、判らないのよ。相談に乗ってね」
彼女はこんな風にいった。彼女はこのクラブに共同出資で投資して、千三百万円ばかりを出しているという。しかし、警視庁の手が入ったのでコワくなり、金をとりもどして手を引こうとしていた。
「もうイヤ。早くこの問題を片付けて、また映画をとりたいわ。香港の張善根さんなどからも、誘いがきているのだけど、クラブでお金を返してくれないもの、私、食べて行けないわ」
そこで、彼女は形ばかりでも警視庁へ訴え出ようというのと、読売の租界記者と親しいことを宣伝して、クラブへの投資をとり返そうとしていたのだ。私は一日、彼女を伴って警視庁の山本公安三課長に紹介した。
「課長さんのお部屋、ずいぶん立派ですのねえ」
などと、お世辞をいわれて、さすがは課長である。即座に言い返した。
「いやあ、どうも、私の課には、あなたのことを、良く知っているものがいますよ」
と、やはり、お世辞の調子でやったところ、パイコワンの眉がピクッと動いた。課長はすぐ言い
直した。
「つまり、あなたのファンです。呼びましょうか」
ファンという言葉で、はじめて彼女は「どうぞ」と明るく笑った。その時の微妙な変化は、私の語る伝説を聞き終った時にも似て、何か考えさせられるものがあった。
当局には、パイコワンに関する、こんな情報が入っていたのである。例の何応欽将軍が日本へきた時、随員の一人に中佐がいた。この中佐が、実は中共のスパイで、国府側にもぐりこんでいたのだが、パイコワンがこの中佐としばしば会っているというのだ。つまりパイコワンにも、スパイという疑いがかかっていたのだった。
フト、音楽がやんだ。バンドの交代時間らしい。パイコワンはいった。
「私、日本人で、一人だけ好きな方がいました」
——あの表情の変化は、自分の悲しい恋を想って心動いたのかしら、それとも、中共スパイという、心のカゲがのぞいたのかしら?
中国に、中国人として生れて、上海、香港のような植民都市を好み、米人の妻となり、日本の恋人の面影を求めて、新しい植民都市東京に流れてきた彼女。そこには、スパイではないかと疑っている官憲が、その挙動をみつめている。
何かこみ上げてくるいじらしさに、私は新聞記者という職業意識も忘れて、抱きしめてやりたいような感じのまま、しばらくの間、この美しい異邦人をみつめていたのだった。