■□■政党助成金のデタラメ■□■第30回■□■ 平成11年(1999)10月9日
ノストラダムスの予言は外れた。だが、この世紀末に、世界の終焉を暗示するかのように、トルコに台湾にと大地震が起き、中央アジアや東ティモールで殺戮が続き、日本でも常識を覆す事件が続いている。則定東京高検検事長の女遊び、神奈川県警の不祥事続発と深山本部長の小手先処理。さらに、東海村の被爆事件。そのどれを見ても、マトモな人間のするハズのないことが、実に平然と、しかも淡々と行われている。野村沙知代の一括不起訴もまた、まともな人間には信じられないことになるだろう。
同じように、自自公連立内閣のスタートもまた、小渕首相の権力願望の具現で、なぜ総選挙で国民の気持ちの向かうところを確かめないのかと、白けてくる。赤字国債で金をバラまき、明日の見通しはない。東海村の補償で、また税金がキリなく投げこまれる。選挙に金がかかるからと、政党助成法で政党(議員個人と同じ意味)に税金を出し、企業献金(98年度153億円)の禁止にはシカトする。銀行には莫大な公的資金を注ぎ込む——これでは、まさにノストラダムスの予言そのものではないか。
この政党助成法という、政党に“公的資金”を注ぎ込む法律を見ていて、面白いことを発見した。自治省への届出(平成10年7月26日現在)を見ると、議員数は、自民党369、民主党141、自由党52、新党平和(衆のみ)38、社民党28、公明(参のみ)22、改革クラブ12、新党さきがけ5、と八党のあとに、第二院クラブ2、自由連合1、(いずれも参のみ)というミニ政党が二つ並んでいるのだ。
助成法第二条には、助成金を請求できる要件として、①国会議員を有し、②得票率2%以上、と制限が設けられている。だから、このハードルを越えられないミニ政党の新社会党、女性党、スポーツ平和党、青年自由党などは、比例区で数十万票を集めていてもどうしようもない。第二院クラブは、佐藤道夫代表が平成7年7月23日選挙で、比例区で128万3千票を集めて当選、西川きよし議員が平成10年7月12日選挙で、大阪選挙区のトップ106万弱で当選し、ともに実力派。それに、同年選挙の沖縄県区のトップ島袋宗康議員の24万強が加わり参院議員3名を擁している。だが、今までは助成金の請求をしていなかったのに、それでは次の選挙のポスター代も無い、と助成金を受けることに転換したという。
奇怪なのは、自由連合である。徳田虎雄代表は前回衆院選に出馬、鹿児島二区で自民党の新人(県議)に惜敗している。ということは、自由連合には国会議員がゼロになった、ということである。そこで徳田代表は、参院兵庫選挙区で当選3回の新進党・石井一二議員を引き抜いて、自由連合幹事長とする。幹事長などというが、元議員の代表と2人きりに過ぎない。そしてそれだけで、助成金五千四百三十九万円を手中にするのだ。
もともと、徳田代表は徳洲会病院の理事長である。全国各地に徳洲会病院を開設し、日本医師会には加盟せず、トラブル・メーカーになっている。そして、この政党助成金に見られるような、サギまがいの錬金術で、この病院群の資金としているが、最近は詰まってきて、助成金に目をつけたようだ。
昭和58年に奄美群島区で初出馬、当選4回を重ねていた保岡興治議員に負ける。昭和61年も三千票あまりで再敗。この選挙では創価学会票を保岡側と争奪した。平成2年にようやく、保岡票を二千票上回って初当選。つづいて平成5年に、4人枠の鹿児島一区で保岡トップの3位に甘んじて再当選。そして、小選挙区制になった平成8年では、保岡は一区、徳田二区と分かれて安心だったのだが、自民党にやられた。
徳洲会の病院群展開には、徳田が議員であることが要件だったようで、目前に迫っている次の総選挙には、連立の余波で学会票は自民候補へまわるだろうから、また落選で“徳田錬金術”もついに終幕を迎えるだろう。 平成11年(1999)10月9日