編集長ひとり語り第41回 娘たちよ、すぐに男にやらせるな!

編集長ひとり語り第41回 娘たちよ、すぐに男にやらせるな! 平成12年(2000)6月24日 画像は三田和夫73歳(黄河鉄橋1995.02.26)黄河鉄橋:戦時中、三田小隊が守備していた鉄橋
編集長ひとり語り第41回 娘たちよ、すぐに男にやらせるな! 平成12年(2000)6月24日 画像は三田和夫73歳(黄河鉄橋1995.02.26)黄河鉄橋:戦時中、三田小隊が守備していた鉄橋

■□■娘たちよ、すぐに男にやらせるな!■□■第41回■□■ 平成12年6月24日

6月22日、駐輪場で殺された女子高生の第一回公判が開かれた。被告は殺意の有無について「殺すつもりはなかった」といった。

いわゆるストーカーが事件化するのは、みな、女が交際を拒否した時点からである。交際を拒否——などと、キレイごとの表現をしたが、ズバリ書くならば、「もうおまえとはセックスしない」宣言なのである。男にとっていつでもどこでも、自分が欲する時にやれる女がいる、ということが重大なのである。

むかしは、遊郭(女郎屋・売春宿)があったから、男はいつでもヤルことができた。しかも、今のソープなどと比べられない安さだから、“泊まり”の豪遊(といっても、本部屋泊まり以外にも“まわし部屋”の安いのもあった)ではなくとも、チョンノマといわれる、超短時間の遊びも可能だったのだ。

つまり、安定的な性処理が失われたのでは男は頭にくる。復縁を迫って、つきまとうのは当然である。だから、オドシのつもりのナイフが、その場の勢いでグサリ、も無理からぬことである。殺意(殺してやろうという意志)の有無が問われるわけである。

若い娘たちは、あまりにも無造作に、すぐ男にヤラせる。あとさきを考えるチエもなく求められるままに、身体を開く。それが何回か継続したのちに、好悪や反省や、男の自己中心的行為への不快感などで、“絶交宣言”となり、トラブルになる。要は、男の性格を見極めないで、ヤラせるな! である。

だが、日本語というのは面白い。ヤラレル、ヤラセル、売ラレル、だまサレル、言い寄ラレル、抱かレル——すべて、男女間の行為は、女性の受身言葉で表現される。これは、男尊女卑思想の然らしめたところであろう。戦後半世紀も過ぎ、男女同権といわれながら、現実は、女性が受身なのである。

アメリカはどうか。NHKの深夜番組で、延々とつづけている「ビバリーヒルズ青春白書」を見ると、男女が画面に出てくると、すぐキスして、すぐセックスをする。若い娘のほとんどが、すぐヤラセルから、男は次から次へと移れるのである。だから、キレる事がない。だが、残念ながら、わが日本では、すぐヤラセル娘の絶対量が少ないから、男はキレるのである。

ロシアはどうか。1917年の革命は、帝政ロシアを打倒し、農奴と性を開放した。もともと娯楽のない農村では、性行為が娯楽のひとつであった。それが、開放されたのだから、男女は、同一労働、同一賃金に裏付けされて、男女ともに、ダワイ・イバーチィ(さあ、やろう)の一言で、受身の言葉はない。先日亡くなった竹下元首相の地元、島根県では、東京オリンピックでテレビが普及するまでは、“夜這い(よばい)”の習慣が現存した。あくまで、女性の受身形なのだ。

さて、こうして眺めてみると、日本の若い男たちはジコチュウで育ってきているから、“いつでもヤレルし、ヤラセル女”に絶交宣言されると、どうしてもキレて、ストーカーになってしまう。

だから、若い娘たちに忠告する。殺されたくなかったら、すぐにヤラセルな! ヤラセル時には“結婚”という社会的なワッパをはめてからヤラセロ! と。そうでなければ、キレない男だと見極めてからヤラセロ! 平成12年6月24日