正力松太郎の死の後にくるもの p.072-073 読売の変り身の早さ

正力松太郎の死の後にくるもの p.072-073 朝日の政治紙、読売の大衆紙としてのスタートの違いもうかがわれる。読者大衆に媚びてゆく変り身の早さが、トップの座を、読売がおびやかすという、〝秘訣〟でもあるのだろう。
正力松太郎の死の後にくるもの p.072-073 朝日の政治紙、読売の大衆紙としてのスタートの違いもうかがわれる。読者大衆に媚びてゆく変り身の早さが、トップの座を、読売がおびやかすという、〝秘訣〟でもあるのだろう。

今、こうして、読売のさりげない社告をみる時、今更のように、変質してしまった「新聞」なるものの姿に、眼を見張らざるを得ないのである。

読売が、別刷り四ページの企画をたてたとき、その第一面に、「気流」のスペースをひろげて、持ってくるということを決めたのは、実に、〝新聞記者の良心〟の、最後の抵抗であったろうと考えられる。

だが、時代の波は、その〝記者の良心〟をも、わずかに一カ月で、とうとうと押し流してしまったのであった。

別刷りとはいえ、第一面にテレビ・プロがくるということは、これまた、サンケイが一週間のラ・テ番組の別刷りを折りこみでつけた時の、新聞界の紛争を想い起こさせよう。サンケイ新聞のラ・テ新聞の付録と、読売の別刷りとは、五十歩百歩である。

朝日の紙面刷新は、社説の活字を大きくして、「時の人」と投書欄とを組ませて、一ページを構成することであった。そして、これを「オピニオンのページ」と名付けた。読売のそれは、社説ではなくして、実際に読まれている「昭和史の天皇」を、投書と時の人とに組ませることであった。

ここらあたりに、朝日の政治紙、読売の大衆紙としての、それぞれのスタートの違いもまた、うかがわれるのであるが、一カ月にして、新聞のメンツをかなぐりすてて、読者大衆に媚びてゆ

く読売の変り身の早さが、朝日が百年にして築きあげたトップの座を、読売が五十年にしておびやかすという、〝秘訣〟でもあるのだろう。

オリンピック後の新聞広告不況時代に出てきた、「番組広告論」が民放に一蹴されたというのも、「新聞」がもはや「社会の木鐸」ではなくなってきているという、体質の変化を物語る一事例であり、かつ、読売のこのページ建ての変更が、それを裏付けている。

朝日を取材した。会社側の代表格で、渡辺誠毅常務にインタビューしたことがある。話題は東大OBの会の「意見広告」を朝日が掲載しなかったことと、宅配制度の見通しについてで、渡辺はこう語る。詳しい話は後述することにして、要約するとこうだ。

「宅配は全くはなくならない。料金を値上げするなら、紙代と配達料との二本立て計算というのが合理的な考えである」「しかし、日本の実情では、合理的だからといって、そのまま実行に移すことはむずかしい」「もしも、スタンド売りが中心になったとすれば、三億円事件のようなものがあれば売り切れ、何もなければ、大量の売れ残りといったように、部数が安定しない。部数が安定しないということは、経営を危うくするものだ」

広告主の紙面への干渉が、出稿・掲載という経済行為だ、と割り切れない〝日本的〟な習慣だと非難しながらも、今度は販売、拡張面では、その〝日本的〟な習慣を逆手にとって、読者の固定化を図ろうというのである。これは広告主の編集権への侵害であると同時に、読者の紙面撰択権

への侵害でもある。新聞とは、〝大朝日〟においてすらも、かくの通り、〝御都合主義〟であるということを示している。