ということは、一例をあげれば、新聞社の週刊誌でいえば、朝日と毎日は、それぞれ実績と読者層を認められて、それほど広告原稿は減らないが、読売やサンケイは、出稿回数が減ったり、
全く停止されたりするということだ。
ところが雑誌社の週刊誌では、新潮などは、「週刊新潮」だけの入り広告料(同誌に掲載される他社の広告)だけで、全新潮社の出し広告料(他紙誌への出稿広告)を上廻るという、掲載申込を捌き切れないほどの、跛行現象が起きてくる。つまり一流だけは影響がなく、二、三流が苦しいということだ。
広告頁がすいていれば、ついにはダンピングにまでなる。これは、新聞とて同じで、各社の経営は、広告料の減収、購読料の頭打ち、オリンピック投資の負担と、大変な苦境に追いこまれている。
東京新聞が事実上倒産し、中日新聞に買収され、記者たちは、東京新聞社員と中日東京支社員の二枚看板となった。内幸町の土地社屋が二十一億円で売り払われ、田町駅の裏側(畜殺場側)に新社屋を建てて引越したが、それでオツリがきて、そのオツリを資金にせざるを得ないほどである。一時、都内有代部数二十万とまで噂され、メイン・バンクの三和銀行への利子さえ払えないといわれた毎日も、有楽町を売り渡して九段へ引越すという実情である。
ところが、読売には、そのような新聞全般の苦境にプラスする、〝家庭の事情〟があったのである。それが、先程の〝ランド〟という、つまり、川崎市外の「読売ランド」のことである。読売新聞の金を、正力がみなランドに注ぎこんでしまうので、巨人軍の金も、粉飾決算の日本テレ
ビの金も、なにもかも、ゴッチャになり、余計、金繰りが苦しいというのである。
当時の読売新聞の一部当りコストは、朝夕刊セットで、約七百円とされている。ところが、購読料金は四百五十円であるから、月間、一部当り二百五十円の赤字となる。東京本社三百二十万余の発行部数の中、朝夕刊セットを二百四十万部と概算すると、この赤字は六億になるが、広告料収入を七、八億とみて、差引すると、東京本社における限りでは、月間ほぼ二億近い黒字となっている、というのがメノコ算ながらも、ほぼ実情に近い数字であろう。
ところが、大阪はまず独立出来たとしても、東京が背負わねばならない赤字は、西部本社の七千万円、北海道、北陸支社の各二、三千万円、合計一億二千万円ほどのものがある。さらに、金利七千万円、ボーナス借入金月賦返済分(ボーナスは毎期約六、七億円)約一億円がある。これらを総計すると、月間三億円の支出があるので、二億円の黒字は吹っ飛んで、毎月一億円宛、赤字が累積されてゆく計算である。
これらの赤字も、金繰りがつく限りでは、それほど大したものではあるまい。しかし、一方では、東京の本館増築、別館新築をはじめとして、各地の読売会館の建設が、ここ数年の間に急激に行なわれた上、百二十億の金を注ぎこんだ(週刊文春四月十九日号、正力・大宅対談)といわれる、「読売ランド」の大建設が進められているのである。
ランドは株式会社関東レース俱楽部(注。現在は株式会社よみうりランドに合併)の所有である。