正力松太郎の死の後にくるもの p.112-113 山特鋼の倒産時以上の規模

正力松太郎の死の後にくるもの p.112-113 週刊読売の小説、挿絵の稿料も未払いというのだから、あらゆるところの金を動員していたといってよかろう。累積赤字百二十九億円、社外での噂は、二百五十億とまで称された。
正力松太郎の死の後にくるもの p.112-113 週刊読売の小説、挿絵の稿料も未払いというのだから、あらゆるところの金を動員していたといってよかろう。累積赤字百二十九億円、社外での噂は、二百五十億とまで称された。

「正力の読売」として、零細企業から中小企業へ、そして、今日の大企業へと育ってきた読売には、いわゆるメイン・バンクがない。前年の暮、正力から三十億の金作りを頼まれた務台は、腹

案として三井、住友、勧銀などの主取引銀行で半分の十五億、これに成功すれば、残り十五億は、群小銀行の協調融資団的なものをつくって……と、考えていたらしい。

ところが、実際に動いてみると、前記三行の返事が合計三億。目標の一割にしか達しなかったという。それどころか、読売はオリンピックで借りた五億は別と思っていたが、銀行側はオリンピックだろうが、ボーナスだろうが、出た額は額というつれない返事で、暮のボーナス資金六億の借入れさえ危うかったということが、社主と組合の板ばさみになる務台に、つくづくと考えこませたといわれる。

もう一つ、〝真相〟なるものも流布されている。それは、「正力亨を副社長として読売に入れる」という、正力の案に、務台が反対したのだというものだが、私としてはこれはとらない。やはり、金繰りの問題で、読売本社をも危うくするほどの、資金のランド流出をうれえたとみるべきだろう。

そこへ、スト権確立の全員投票である。ここで読売がストに突入すれば、最後の信用を失ってもう金繰りは全くストップして、瓦壊への道を走るだけ、と判断したようである。その衷情は、辞表の「所感」中にある、「(読売が)永久に存続し発展することを希う」「本社百年の計を考え」という、切々の言葉にもうかがえよう。

このような情況下で、本紙はもとより、週刊読売の小説、挿絵の稿料も、前年十一月より未払

い(務台事件当時)というのだから、あらゆるところの金を動員していたといってよかろう。金田の契約金も分割にならざるを得ない。その結果、累積赤字百二十九億円(組合調べ)、社外での噂は、二百五十億とまで称された。

サンケイが前田久吉から水野成夫に交替した時の、累積赤字は社内説で三十六億、社外説で七十億といわれたものであるから、読売の現状は、山特鋼の倒産時以上の規模である。このような赤字の累増の一つの原因に、正力が蓄財しないので、大株主でありながら、増資に応ずる能力がないという、特異な点がある。設備投資の資金などは、普通、借入金ではなく増資で賄うものだからである。

組合が、七千五百円アップを固執した理由の一つに、新聞が儲かっているという事実がある。それが、正力個人の各事業に散らされている点を衝いているのだ。

務台専務は、このように各方面に手を拡げすぎた経営と金融操作とに、ついに辞表を出して去った。が、これが、〝踏絵〟的効果をもたらしてしまった、という意外な事実が起きてしまった。

というのは、〝正力の読売〟は、その前置詞として、〝務台あっての〟〝正力の読売〟であることが、務台の辞任によって、明らかにされたのであった。まず、組合が戦略戦術の転換をはじめた。その根拠は、〝務台あっての読売〟という、正力の名前を外した論理である。役員会は「絶対に辞めさせぬ」と狼狽し、販売店は「務台復帰」を唱えて、その旗印を明らかにした。