この数字に見る限り、読売は、日本三大紙の雄と、称し称せられるのも当然である。そして、
社主正力松太郎もまた、この事実に関する限り、〝偉大なる新聞人〟と、自ら誇り、かつ尊敬せらるべきことも、動かし難い事実である。
試みに、三十九年度の社員名簿をみると、総員四千六百五名の大世帯にもかかわらず、出向社員は、タッタの百六十一名という点が、問題である。その内訳は、大阪読売九六、報知印刷所二○、報知新聞一六、西部本社八、よみうりテレビ六、健保組合三、観光、映画社、日本テレビ、関東レース各二、興業、日響、福島民友、新聞輸送各一、という実情である。
昭和十八年の二千余名が、倍の四千六百にふくれた読売新聞も、ようやく、社員構成が逆ピラミッドになろうとしている。つまり、頭でっかちである。これをピラミッドの正常な形にするのが、企業としての健全な形である。そのためには、大企業は子会社を持ち、そこに幹部社員を出向させて、各々その所を得さしめるのが、当然であろう。
ところが、この出向社員数をみてみると、如何に読売新聞社の社員が、苦しむかが判然としよう。つまり、世間では、読売の子会社と思われているすべての正力系会社が、すべて〝赤の他人〟で、歴史があり、有能な人材を多数かかえた読売新聞社の社員は、働き盛の五十五歳定年で、老後の生活を考えねばならないということだ。
しかも、これらの出向社員は、すべて出先での〝冷飯〟組である。各社にはそれぞれ人事閥が確立されており、読売出向社員を冷遇している。いわんや、新聞の定年組の天降るポストなどは
皆無である。従って、新聞社員は定年が近づくと、それこそ猟官運動に没頭して、何とかして定年延長を獲得しようとする。
猟官には、良心の抹殺と迎合とオベンチャラが、絶対の要件であり、仕事は責任の回避と、同僚のアラ探し、裏切り、蹴落し、その他のあらゆる悪徳のオンパレードである。経営の悪化は、必然的に定年厳守を原則とするから、読売新聞で生き残るためには、新聞人であってはならない。
読売興業という会社は、野球部で読売巨人軍を持ち、新聞部で、九州読売新聞を持っている。しかし、興業の全株を読売新聞が持っており、巨人軍の興業権を読売新聞が持っているので、九州読売の赤字七千万円を読売が負担しているのも、巨人軍の稼ぎを読売が流用しているのも、法的には問題がなさそうである。九州読売を、なぜ興業にやらせたかというと、巨人軍が稼ぐ黒字を、税金にとられないで、九州の赤字にあてようという計画らしい。つまりは、税金で新聞をやろうというわけだ。
姉妹紙であるとみられる、報知新聞でさえ、今や、〝嫁にいった妹〟のような存在で、読売育ちの竹内四郎社長が急逝し、正力亨社長になってからは、組合の勢力拡張めざましく、竹内が懸命に試みた読売との人事交流、読売の〝植民地化〟は崩壊してしまった。大阪のよみうりテレビで六人、NTVにいたっては、タッタの二人という出向社員数が、電波との関係を物語っていよう。また、「読売広告社」なる会社は、これこそ、全くのアカの他人で、正力すら関係がないと
いう会社である。