四十二年八月二十七日付の、読売、毎日には、警視庁が朝日に対し、記事取り消し方を申し入れた旨が報じられているが、そのことは遂に、朝日には掲載されなかった。
読売は、「……と、朝日新聞に報道された問題について、警視庁は二十六日午後九時半から、
槇野警務部長らが、異例の記者会見をし、『一部に誤解をまねくようなことはあったが、入浴、昼寝、昼食代踏み倒しの事実は、きょうまでの調査結果で無根とわかった。このため、朝日新聞社に記事の取り消しを含めた善処方を求めた』と、発表した。……」
毎日は、「……といわれた問題について、二十六日夜、槇野警務部長が、朝日新聞社に記事の取消しを含む善処方を、口頭で申し入れた。警視庁が同日まで監察した結果では、同紙に報道されたそのような事実はないという。槇野警務部長の話。調査結果と報道に違う点があったので、記事の取消しを申し入れた。こちらとしては、事実についてたしかめた結果、現段階では捜査員の規律違反はなく、処分を考えていない」
だが、この件について、朝日の紙面には、ついに訂正も取消しも載らなかった。ただ、九月一日付で、「刑事の言動に配慮、〝脱線事件〟で警視庁」という三段見出しの記事が出た。これによると、「警視庁は三十一日午後『捜査は協力者など、一般市民に細かい心づかいを払う必要があった』と反省、今後は捜査の運営方法を改善し、捜査員の教養につとめるとの方針を明らかにした」そうだが、この警視庁のアッピールは、庁内のクラブ所属のどの新聞にものっていない。
しかもこの記事は、「協力者たちの主張と警視庁調査との食違いは、主として次の三点である」として、次の一段「入浴、踏み倒しの事実はない」との見出しで、槇野談話二十行がつづく。さらにそのあと、「なぜ真実がいえないのか」の一段見出しで、朝日記事の証言者T子さんの談話
十九行がある。いつまで待っても、朝日に取消し記事が出ないのは、一体どういうことなのか。
六人の刑事の、その妻と子供たち、身内の人々、警察官全般へと、夕立雲のようにモクモクと、黒くひろがってゆく「新聞不信」の念。それは、ひとり朝日新聞への不信ではなく、新聞全般への不信であることを、私は恐れる。
——これも、朝日新聞のもつ、体質の一部である。古くは「伊藤律架空会見記」の大虚報をはじめとして。
朝日新聞を中心に、「人」と「事件」を通して、現在の新聞が直面している諸問題を解析してゆくため、いくつかの既刊の「朝日論」にも眼を通してみた。
草柳大蔵「現代王国論」の中の「朝日論」は、〝論〟ではなくてCM、もしくは〝入社案内〟である。ことに、「……それほど朝日は、軍閥に抵抗し財閥に汚されず……」(文春刊、同書一三一頁)の一行に、それが尽きるのである。同書の表紙カバーの著者紹介を見ると、「雑誌記者、新聞記者を経て」とあるのだが、いずれも社名がない。
選挙の度に立候補する、ある特殊団体の幹部の肩書に、「元読売記者」とあるのを、私はかねて不審に思っていた。ある日、古い社員名簿を調べてみると、昭和十八年版、八王子支局の末尾に、「八丈島通信員(嘱託)」として、その人物の名前がでていたのである。まさしく、〝元読売記者〟ではあった。