記者経験しかない補佐役に、合理主義の社長のもとで、組合側はドンドン力を伸ばし、すぐ時限ストの実力行使に入り、会社側には十分な人事権すらない労働協約までモノにしてしまった。そして、印刷所とは常に共闘である。組合員五九〇名だから、会社側の管理職だけでは、新聞の
発行ができない。それどころか、印刷工場(二六○名)の同調で、刷りにも困る。こんな事情もあって、会社はつねに譲歩に譲歩を重ねた。
もしも、〝無法の竹〟こと竹内が社長であったなら、バカヤローッの大喝で、組合とは決裂しても、譲歩はしなかったであろう。労担重役となった藤本も、東大卒で、本人自身が論理的人物であるだけに、極めて論理的な攻撃には弱い、誰にでも好かれる好人物であるから、労担重役には向かない男だ。社長がジイサマの御曹司とあれば、サラリーマン経営陣が弱体であるのは当然である。編集局の部長クラスに出向してくる読売記者はみな組合に突きあげられて、ほうほうの態で本社に逃げ帰るものが続出した。
これでは、報知の今日を築きあげた、竹内—森村ラインの、〝報知独立王国〟という、新聞記者魂の、読売への叛骨精神は、全く別な形で実現してしまったようである。彼らの精神は、その死去とともに断絶して、報知新聞は、本家の読売とは全く関係のない、他人のスポーツ紙と化してしまった。六百の社員に七十万の部数。一人当り千部という新聞経営の理想的な状態にありながら、十分な収益をあげられない実情にあったのではあるまいか。
正力の胸中にも、亨の経営責任が去来したのであろうか。同時に販売店からの読売務台副社長への突きあげもあったのであろう。しかし、報知のこの現況を、亨社長個人にのみ追求するのは酷にすぎよう。社会部記者のみで幹部を固めた竹内の意図と、その期待に応え得なかった社長側
近にも、その一端を負わすべきである。
伝説断絶の日本テレビ
正力の女婿小林与三次が、自治省次官を辞して読売に入ってきたころ、代議士の後継者は小林といわれていた。正力の地盤は高岡である。すでに当選五回、トップの松村謙三は破れないものの、前回で、定員三名の二位、六四、九○二票を得て、三位の社会党と一万弱の差である。だが、高岡が新産業都市に指定されて、漁民がひっそくし、工員とその家族がふえてくると、他府県からの流入人口が多くなり、正力支持票が減少しているようである。ことに、地元の富山県知事が、前から出馬したがっているのを抑えてきてもいるし、公明党が立候補すると、晩節を汚すおそれも出てくる。
正力の名前ならば、地元民にも利くけれども、小林姓になれば、たとえ女婿でも馴染みがうすくなる。小林は人物、識見とも立派だが、女婿にゆずるというほど強固な地盤というものではない。では正力亨はどうかとなると、あの〝合理主義〟では地方の選挙民がついてこられるものではない。