もちろん、二年後に完成を予定される、新社屋という大事業がある。これは、務台をおいては、他に人を得られないことだ。原為雄を失った毎日新聞の前例があるのだから、読売がその轍を踏むことはあるまい。
さらに人事体制がある。
報知の救援に、務台直系の菅尾と、乞われた岡本が赴いた経緯は詳述した。そして、さきごろ報知のド口沼ストが、ひとまず解決したのであるが、これは、労使ともにみるべき成果がなく、数回の休刊という犠牲を払って、なおかつ〝停戦〟的解決でしかない。
ところが、昨秋、報知入りして、平取締役(広告担当)にすぎなかった金久保通雄が、さる四十四年二月十七日、常務・編集局長に選任されて、ド口沼ストを経過しておったのだが、さきごろ、スト解決とともに、突如として解任されて、非常勤の平取締役に格下げされた。そして、読売本社から審通室長(役員待遇)で元社会部長の長谷川実雄が派遣され、代表取締役副社長兼編集局長という、破格の待遇が与えられた。
この解任劇は、もちろん、報知社内でも何の説明も行なわれていないのだが、さきごろのスト解決とは無関係ではないらしい。
金久保は、社会部長、出版局長というポストで、原の後を追うようにピタリとついてきた男だ。いうなれば、原の次期編集局長としては、対抗馬ともみられてきていた。それが、報知入りをし
て、編集局長となった時、その〝施政方針〟演説をして、「紙面で巨人軍優遇はしないし、労使の紛争解決のためとはいっても、休刊などは絶対すべきではない」旨の、組合迎合ともとれる〝スジ論〟をブッたといわれている。
このような態度が、荒廃した報知経営陣再建のため、菅尾—岡本体制を造った務台にとって、決して、愉快なものではなかったと思われる。その揚句の、解任、非常勤である。もちろん、読売復帰は望むべくもないし、原の対抗馬はこうして〝落馬〟となった。
後任の長谷川は、もちろん編集出身。なかなかのヤリ手で、労担であったのだが、代表取締役副社長というのだから、全く、金久保と違って、会社側の編集局長である。ところが、長谷川もまた、金久保にピタリとつづいたポストで、出版局長こそ経てないが、やはり、読売編集局の部長クラスに〝子分〟をもつ、原の対抗馬の二番手であった。
それが、務台直系の菅尾社長と棒組みで、代取・副社長となったということは、〝報知に骨を埋め〟にやらされたワケで、これまた読売編集局長としては、〝落馬〟である。こうなってみると読売の重役その他では、編集局部長クラスに有力な〝子分〟をもち、原の後釜を狙える者はまずいない。
この、金久保、長谷川の交代が八月末で、つづいて九月中旬になるや、編集局内の異動が行なわれた。社会部長の青木照夫らが局次長に進み、最重要部の政治、経済、社会の三部長が新任と
なった。