「武を……」という遺言
巨星墜つ——陳腐な言葉となってはしまったが、〝大正力の死〟には、どうもこの言葉がふさわしいようだ。そして、キョセイオツと、わずか六文字で表現されるその中には、言外のさまざまな感懐が、ムードとして含まれているのである。
冒頭にも書いたのであるが、亡くなる前の日の夕方、それこそ十時間たらずほど前に、私は務台代表におめにかかって、正力さんの健康を案じていたのだった。
私が、月刊「軍事研究」誌に書きつづけていた「現代新聞論、読売新聞の内幕」もまた、あと二回で読売の項を終り、毎日新聞へと進む予定であった。そこに、図らずも、正力さんの死に際会し、急いで、追悼の意もかねて、一本にまとめることとなった。私としては、来年夏ごろに、三社を書き終えた段階でまとめて、第一冊目を正力さんに捧げようと思っていたのだったが…。
そして、いよいよ、ポスト・ショーリキの結論へと進まねばならない。
正力の臨終は、それこそ、古武士の最後にも似たものだったという。
ある側近筋によると、その模様はこうだ。
昭和四十四年十月九日、午前三時五十分、大正力の脈がと絶えた。だが、それより前に、異変を聞いて駈けつけた医師が、カンフルを打とうとしたが、手足はすでに冷たくなりかけていた。
静脈が、腕の静脈が浮いて来ない。医師は止むを得ず、メスを入れて静脈を探した。カンフルで、やや意識をとりもどしたのか、正力は、冷たい手で医師の手を握った。
「長い間、看病してくれてありがとう」
正力は、まず、医師に礼をのべたという。医師の手をとったまま、瞑目して、一呼吸、また一呼吸——正力は、フト呟いた。
「タケシをたのみます……」
そのころには、大正力の意識は、すでに幽明の境をさまよっていたに違いない。そして、その唇は再び開かなかったといわれる。
この話は、あくまで伝聞である。従って、私には、その真否をたずねるすべもない。その最後の言葉といわれるものも、ただ一人の人名が出てくるので、意味するところは、まさに複雑である。