編集長ひとり語り第62回 新聞の時代、終わらんとする!

編集長ひとり語り第62回 新聞の時代、終わらんとする! 平成13年(2001)11月11日 画像は三田和夫32歳(讀賣新聞社・記者記章帯用証/衆議院・参議院 第17回国会 1953年)
編集長ひとり語り第62回 新聞の時代、終わらんとする! 平成13年(2001)11月11日 画像は三田和夫32歳(讀賣新聞社・記者記章帯用証/衆議院・参議院 第17回国会 1953年)
編集長ひとり語り第62回 新聞の時代、終わらんとする! 平成13年(2001)11月11日 画像は三田和夫32歳(讀賣新聞社・記者記章帯用証/衆議院・参議院 第17回国会 1953年)
編集長ひとり語り第62回 新聞の時代、終わらんとする! 平成13年(2001)11月11日 画像は三田和夫32歳(讀賣新聞社・記者記章帯用証/衆議院・参議院 第17回国会 1953年)

■□■新聞の時代、終わらんとする!■□■第62回■□■ 平成13年11月11日

11月7日付けの朝日夕刊が「産経が夕刊廃止へ」と報じた。東京本社発行分25万部を、来年の4月1日以降やめるという内容だ。朝、読、毎の3925円より75円安かったセットが、さらに安くなる。東京紙は3250円、産経紙セットより600円安く、老人世帯に支持されているという。

さる7月23日付けのその産経出身の青木彰・筑波大学名誉教授の「メディア評論」が、おりしも「新聞こそ『構造改革』必要」と、藤本義一さんのタレント出馬拒否の「一番退廃しているのが、ジャーナリストなんですよ。消費者金融の広告を載せだしてから(私をしていわしむれば池田大作著書の広告も…)、顕著になった」と、引用している。産経の夕刊廃止は、先輩の言を素直に受け入れた形である。

読売のことは、前回も、巨人軍の試合の放映をNHKとの間で合意したことを、書いたばかりであるが、この巨人軍にこだわる渡辺オーナーこそが、構造改革上、その対象になるべき人物なのである。藤本義一氏の指摘の通り。

だいたい、今の時代に、巨人軍の働きが読売新聞の読者増につながる、と思い込んでいる渡辺オーナーの頭がオカシイ。せっかく長嶋監督が辞めたのだから、巨人軍を売りに出し、社員もリストラして、とりあえず、新聞の編集と発行とだけに、専念すべきであった。一千万部の金字塔は残るのだから…。

たしかに、正力、務台の時代には、読売新聞イコール読売巨人軍であって、巨人ファンが新聞の読者になるということもあった。拡材として、これほど強力なものはなかった。新聞各社が羨ましがったのだった。事実、新聞各社は、戦時中の統制時代を外された時は、朝日、毎日の二大紙に対し、読売は二流紙であったが、戦後は、新聞用紙の自由化に伴い三社は一線上でスタートした。その時の巨人軍の貢献は目覚ましい。

昭和30年代は、朝毎読並列の時代だった。だが、紙面の優劣で、40年代に入ると、朝読毎の時代に変わった。そして、50年代には、読朝毎となる。発行部数で“販売の神様”務台社長の努力が結実したのだった。その衣鉢を継いだ渡辺社長は、ついに一千万部を超えて、輝かしい金字塔を打ち立てた…。社員数も、軽く一万名を越した。

だが、時代は急変してきた。60年代にすでにその徴候を見せているのだが、パソコンに加えて、少子高齢化時代となり、いわゆる“新聞”の読者減が始まった。プロスポーツでも、野球の独占が崩れ、観客が減り出した。本来ならば、この時点で、新聞は自身の構造改革に取り組むべきであった。人々は、その日常生活の中で、かつてのように“新聞”を必要としなくなったのである。そして、渡辺オーナーのNHK交渉についで、産経夕刊廃止の衝撃的ニュースである。

事態は、すでにそこまできていたのだ。私がかねて主張していた「2010年までに新聞は自滅する」は、もっとスピードを早めているのかもしれない。 平成13年11月11日

◇◆編集後記◆◇
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平成13年11月11日