せんでした。中尉の腰には小さな拳銃がのぞいて見えました。本当に夢のような出来事です。
その後、私は背広の少佐に呼ばれて、写真を撮影されているのです。正面、半身、左右の横顔、四枚もです。
何故、私がこんなに恐れているかお分かりになりますか?
私は月に一、二回ほど、中尉か少佐に逢います。一時間も話しますでしょうか。話題は思想的なものばかりで、民主運動のあり方とか、資本主義社会の欠陥とか、そんなことばかりです。密告とか名簿の提出など命ぜられたことはありません。それなのに、五〇—三〇〇ルーブルの金をくれるのです。たまには領収証だけのこともありました。
もう、お分かりになったでしょう。私の誓約書には、日本に帰ってからでなければ働けないような目的が、ハッキリと書かれているのです。そのうえ、合言葉と偽名もあります。そして、何もしないのに金をくれて、写真まで写しているのですから…。
合言葉の男、きっと、赤いマントをきたメフィストフェレスのような奴でしょう。それが、いつ、どこで、どうして、私の前に現れるかと、ただそればかりを恐れて、毎日を不安に悩みながらすごしているのです。