がら、私が幼年学校、士官学校と純粋のファシズム教育をうけていること、現在は民主運動の指導者格ではあるが、将来階級制の強調に伴って脱落せしめられることを予期していること、などを理由に拒みましたが、少尉はかえってそれが好都合であり、万一他の日本人に知れても、彼(私)は出身があんなだから取調べをうけているのだろうとみられて危険性がないし、ファシズムにこりた人間は信頼するに足るのだなど申して、はては死の脅威をもひらめかしました。
その後は平均二カ月に三回ほどの割で、風のように来たり、風のように去る通訳と二人だけの少尉に、窓に鉄格子、二重扉という密室に呼び出されました。約束の時間に三十分おくれても不忠実呼ばわりされて脅かされたこともあり、調査に熱意をかくといわれ、裏切る気かと迫られたこともありました。その当時の暗い気持ち、板ばさみの境地は、その人ならでは分からぬ、不気味なものでした。(中略)
果たして帰れるか、他に送られるか、言い知れぬ不安の何日か、その時、突然列車の中央から現れたのはエルマーク少尉であったのです。小蔭に呼ばれて『ナホトカまで車中の動静に注意して、旧歴を暴露する者や、反ソ的言辞を弄した者を速やかに報告せよ。任務はナホトカにて乗船