しまったからであり、最初の冬の犠牲者の実態は、ソ連当局では握っていない訳である。
こうして、二十一年四月からは、正式な人名調査による、俘虜カードの作成がはじめられた。これは、あくまで純然たる俘虜管理業務の一つとして行われた調査で、俘虜各個人の身上調査が、収容所地区司令部の指揮によって、各収容所(分所)の人事係将校が担当して行われたのである。
この調査は、おおむね二十一年一ぱいを費やして完成された。このころから、ソ連側の対日本人俘虜政策は、ようやく整理され、秩序立って、施設、給養、労働、教育などの面も、改善されて、向上してきた。俘虜政策の整備は、その管理面だけではなく、もちろんNKによる調査も系統だてたのである。
かくして、俘虜カードによる、スパイ団組織の予備調査は、その年齢、階級、学歴、原職などに基づいてはじめられた。この際は、ⒶⒷの区別はまだハッキリとつけられておらず、スパイ要員の摘出を、各収容所付の思想係将校が行った。早い所では、二十一年の暮れから(アルチョム)、普通は二十二年一ぱい、遅い所で二十三年はじめであろう。まれに、二十三年下半期、あるいは二十四年はじめ(タイセット)というのもあるが、それは、鉄道建設、伐採などの奥地の分遣