四、日本における実態
昭和二十四年十二月二日、舞鶴に入港した第六船団最終船信洋丸で、二十四年度の引揚げは打ち切られた。同年五月のソ連政府声明によれば、十一月までに九万五千名を送還して、日本人捕虜は全員帰還する、ということであったが、対日理事会で問題となり、二十五年に入ってから異例の冬期引揚げが二回も行われ、高砂丸によって五千名近い人たちが帰ってきた。
一月二十二日入港の第一次、二月八日入港の
第二次の引揚者たちの情報によれば、もはやシベリアに残留する同胞は、それほど多くない模様である。
すると、数万にのぼる誓約書を書いた人々は、大半がすでに日本に引き揚げていることになるわけだ。このスパイ団の舞台は、もはや日本国内にうつっている。
Ⓐに属する人々は、『ナホトカにて乗船次第任務解消すべし』と命令された者もあるように(タ