黒幕・政商たち p.080-081 児玉誉士夫一派の幹部吉田の子分

黒幕・政商たち p.080-081 日本電建から東棉へ、すべてが売られた時期、岡林は神港建設を解散させた。〝蒸発〟させたのである。税法上の問題は、すべて「神港建設」にかぶせた。そして、「東洋殖産」を設立して、茨城県に取りかかった
黒幕・政商たち p.080-081 日本電建から東棉へ、すべてが売られた時期、岡林は神港建設を解散させた。〝蒸発〟させたのである。税法上の問題は、すべて「神港建設」にかぶせた。そして、「東洋殖産」を設立して、茨城県に取りかかった

田中角栄代議士と日本電建、公団という、三者の関係を想起させるに十分であろう。その間、東棉不動産部は、わずかに、A、E地区に介在したにすぎない。ま

た、勝又用地課長の収賄は、この時期から三十八年春にかけてのことである。

大映手形パクリ事件の主役は?

三十八年四月一日、この三十八万坪は日本電建から東棉へと、すべて売却された。その登記が同月二十六日、週日後の五月一日には、東棉から大橋富重の興亜建設へ売却されて、六日に登記された。眼を公団側の動きに転ずると、同八日に大阪支所支部長会議で、光明池開発を決め、買収価格の承認申請を、本所にすることになった。同十三日、本所理事会はこれを承認したが、十五日には東棉と興亜建設とは、五月一日の売買契約を解除して東棉に所有権をもどしたが、同じ日のうちに、再び売買契約を結ぶという不明朗極まりないことをしている。十五日の合意契約解除を、翌十六日に登記したのち、十五日の再契約は十七日に登記した。

というのは、十六日には、公団と興亜建設との間で、公団希望の三十八万坪を興亜が世話するという協定書が調印されて、十七日には三十一万坪の、売買契約が行なわれていたからである。そして、二十日に公団名登記、二十四日には九割に当る十一億五千二百万円が支払われるという、スピード振りである。

三十八年四月一日、日本電建から東棉へ、すべてが売られた時期、岡林は神港建設を解散させてしまった。〝蒸発〟させたのである。多分、税法上のいろいろの問題は、すべてこの「神

港建設」にかぶせたのであろう。そして、八月に「東洋殖産」を設立して、茨城県に取りかかったようだ。

そのころ、今西(前出英文誌社長)の紹介で、佐々木と知り合い、十月には防衛庁政務次官室へ伴い、二十五日に契約、十一月五日登記という段取りであったが、公団と違って、相手も海千山千のしたたか者、筋書き通りに運ばなかったようだ。三十年二月、地元民から四億八千万円で買いあげ、七億五千万円で佐々木に売りつけようとしたのが失敗、それどころか詐欺で告訴され、志賀代議士に国会で問題化されるという、すべて裏目に出てしまった。

この三十四万坪も、しかるべき政界要路の人物を動かして、公団に売りつけようとしたか、公団の情報を取っていたかだったのだろうが、そうそう柳の下にドジョウがおらず、佐々木をえらんだのだろう。志賀質問でビックリしたのが、岡林本人はもちろん、東棉側である。

早速、この話を内緒にせねば、光明池の痛いハラも探られては叶わんというので岡林、佐々木会談が開かれ、告訴取下げという条件で、話が進められた。その時、佐々木の大映手形パクリ事件のさいに、その保釈金二百万円を立替えたということで、佐々木の代理人と称する、白垣某が登場してきた。児玉誉士夫一派の幹部吉田裕彦氏の子分である。

そればかりではない。港会の親分波木量次郎氏も、この広布産業事件を書きたてるオ色気専門の日刊観光との仲介にと乗り出してきた。サア事は大変になってきた。こういう事態になっ

てくれば、金を出して「ヨロシク」と、頭を下げて廻る役廻りは、〝伝統ある綜合商社〟東洋棉花以外の誰でもない。