早速、この話を内緒にせねば、光明池の痛いハラも探られては叶わんというので岡林、佐々木会談が開かれ、告訴取下げという条件で、話が進められた。その時、佐々木の大映手形パクリ事件のさいに、その保釈金二百万円を立替えたということで、佐々木の代理人と称する、白垣某が登場してきた。児玉誉士夫一派の幹部吉田裕彦氏の子分である。
そればかりではない。港会の親分波木量次郎氏も、この広布産業事件を書きたてるオ色気専門の日刊観光との仲介にと乗り出してきた。サア事は大変になってきた。こういう事態になっ
てくれば、金を出して「ヨロシク」と、頭を下げて廻る役廻りは、〝伝統ある綜合商社〟東洋棉花以外の誰でもない。
一方、光明池で、用地課長に贈賄して〝事務的処理〟の促進を図った柴山は、日本電建—東棉—興亜—東棉—興亜—公団と、コトがうまく運んだにもかかわらず、彼への「手数料」が来なかったので社長の今西と共に「岡林から一千万円をおどし取った」ことにされた。本人はもちろん、〝手数料を正規に請求〟したにすぎないという。
この時も、赤坂の料亭「金竜」で、児玉誉士夫、吉田裕彦が立ち会い、一派の永光伝(大元産業社長、児玉の片腕吉田の直系)、大橋富重らが、キラ星の如く居流れる中で、東棉代理人岡林から、今西、柴山へ一千万円が手渡され、それも東京勢四百万、大阪勢六百万と分割されて、大阪勢は、今西、柴山は各二百万、他の一人が二百万と分配されたそうだ。
さて、こうして眺めてみると、一体、この事件で誰が稼いだのか、というバランス・シートを作ってみたいものだ。損をしたのは間違いなく東棉。イヤ、〝損な役廻り〟というべきか。馴れない不動産部門を作って、岡林の素性も調べず、ハンコ一切を預けて、嘱託の肩書を認めたのだから、豊田の責任が追及されるのも当然。さらに府警の調べから、実弟が金融業をしていることも判り、地価吊りあげの共犯から、私腹を肥やした疑いまでかけられている。だから、戦前からの東棉マンたちは、金の得失にかえられない、社名のドロを嘆いている。
会社のモメ事には、必らず顔を見せる右翼の先生方は別としても、左翼の志賀先生まで登場するのだから、この事件のスケールが判ろうというもの。
関係者の誰れ彼れにたずねても、バランス・シートの人名表は出してくれないが、最後に、当時、公団宅地担当理事であって、光明池に反対した滝野好暁氏をたずねた。公団の総務部長、監事、理事と進んだ、消防庁出身の生え抜きで、現在は社保連常務理事にある人。氏が公団を去ったあと、理事には河野人事で、ラジオ関東から弘田竜之進が入った。
「私もまだこんな団体の役員でいるから、そのことは話したくない。しかしですね、河野一郎という人は、大キライですナ、私を呼びつけて、大勢の人がいる前で、バカヤロー呼ばわりで、クビにするゾと怒鳴りつけたですよ。かりにも、住宅公団の理事をですよ。そんな態度をとるというのは、人間として認めていないことです。何で呼びつけられ、何でクビにするぞといわれたか、それは、まだ、話す機会ではありませんな」
滝野氏には、数年前の〝暗い想い出〟がまだよみがえるのだろうか、暗たんとした表情がよぎった。〝力は正義〟なのだろうか。検察が解明できないというのであれば、与論だけしか期待できないのだろうか!