文書の二、三はほぼ同じ内容である。「意見書」と題されるその二通の一つは、三十九年十月十四日付、名儀は、神奈川県市長会会長の肩書で、金子小一郎藤沢市長。その二は、それより一週間あとの二十一日付で、名儀は、神奈川県市議会議長会会長の肩書で、金子吉蔵平塚市
議会議長である。
神奈川県下十四市の、市長会と市議会議長会とが、それぞれにランド賛成を表明しているのである。さきの県議会で採択された、ランド反対、公園促進の意見には、一応尊重の態度を示しながら、「大衆性、公益性を前提条件として、その設立のすみやかならんことに賛意を表明」している。
文書の四、五、六は、公文書だ。吉村関東財務局長から、神奈川県知事あて、三十九年十一月二十日付で、「都市公園予定地の処理について」と題し、「その後相当の日時を経過しており、事務処理の都合もありますので、あらためて貴意を承知いたしたく」と、県の公式回答を求めたもの。
これに対し、知事は財務局長に、四十年一月二十九日付で回答し、「その後さらに慎重に検討を重ねた結果、湘南海岸公園整備の進展、県財政の現状等、諸般の事情を考慮し、県立都市公園の設置は、必ずしも適当ではないので、これを取止めることといたしました」と、公園計画の放棄を明らかにした。
つづいて、同文書の2号として「同…跡地の利用につき次のとおり要望いたします」と、「…都市公園にかわる施設として、公共性が強く、かつ公園の趣旨にも合致し、あわせて青少年の情操教育と科学教育のため、有益な施設が民間資本によって設置されることが、最も適当
と認められます」と、知事の意向を、ランドの社名を出すこともなく、控え目ながら、再度表明している。
水野サンケイの対抗意識
この文書はさらに次頁にわたり、「なお」書がついており、「住宅団地を拡張造成する計画がある模様だが、住宅過密を招き、東海道線の輸送も、極限にきているので、絶対に反対」なことを、申し添えている。
これらの状況をみると、三十九年八月以降、四十年はじめにかけて、ランド問題は大きく変化していることが判る。つまり、第二期、芝山氏の登場以後、事態が全く変化しているのである。ランドはフン詰りから脱却して大きく前進しているのである。
では芝山氏は何故、登場してきたのか、そして何の役割を果しているのであろうか。話はさかのぼるが、新聞界のフシギな対抗意識にもどらねばならない。
一口に三社といわれる、朝日、毎日、読売の三社は、たがいに全国紙としての、新聞本来の仕事ばかりか、あらゆる面での対抗意識を根強くもっている。そこに、三社ではない、四社だと主張するのが、ランドの設立発起人十四氏の一人、サンケイ社長の水野成夫氏である。
三社の対抗意識は、北海道進出にもみられるが、民放でも明らかである。読売の日本テレビ、 毎日の東京放送、朝日の教育テレビ、十二チャンネル、といった具合だ。サンケイは、文化放送、ニッポン放送、フジテレビと大きく頑張っている。